気持ちを「受け身的」から「主体的」に変える一番の方法

マツコデラックスさんが、「人間関係が下手で親友がいない」と嘆く36歳の既婚子持ち女性に喝を入れたというニュースを見つけた。
news.livedoor.com

マツコさんのひと言は、端的にある一つのことを言っています。それは…

マツコさんの訓示

女性の悩みは、容姿にコンプレックスを抱いていて、それが原因で自分はよく思われていないという思いに取り憑かれており、

「親友と呼べる人もいません。親友を作るにはどうしたらいいでしょうか」

というもの。

それに対するマツコさんの返答は

「ブスだったとしてもデブだったとしてもそれを選んだ男がいて2人も子どもを作れたわけじゃない?」
「今、築いているものに自信を持たないと旦那さんにもお子さんにも親御さんにも失礼」

誰もが頷く答えだと思う。
特に二言目が深い。「あなたが既に持ってるものに目を向けなさい」という諭しは、あれもないこれもない、というワガママから、あれがあるこれがある、という有り難さへの偉大なるスイッチだ。

ナイナイいってるうちはみなさんお客様

「あれもないこれもない」と言ってる間、あなたは自分を感じることが出来るだろうか。むしろなんだかワガママし放題で、フラフラしていて、自分が本当に何を望んでいるのか、分かっていないんじゃないだろうか。

分かってないからこそ、手当たり次第、ないものを並べる。その一つがありもしない人間関係だ。いつ何時も自分を理解してくれ、慰めてくれ、味方でいてくれる血のつながらない親友を求める。

それは自分を正当化する完全なるツール。「私、悪くないもん!」という刀を振り下ろすためのエビデンス。親友さえいれば、我が身が傷つかず、かりに傷ついたとしてもすぐに回復する、と信じている。親友ありきで、自分が強くなれるプラン。

がしかし、そんな都合のよい相手などいるはずもなく、また自分も誰かのそれになれるはずもなく、まさに砂上の楼閣。でもそんな滑稽なものを求めていることさえ、気づいていない。近所隣と比べて、「○○ちゃんは親友がいるから、私にだって親友ができるはず」と思い込んでいる。

これはインスタに載せているキラキラ毎日を、本当にそのとおりだと信じてマネようとする誰かさんと同じ行動原理。ご承知のようにキラキラ毎日は作られたものであり、都合の悪いことはすべてフレーム外に押しやられているんだよ。

ありもしない親友神話を追い求め、不平不満を吐き出し、悩みと称して吐露する恥ずかしくないのか。人の親になってまで、なぜそのような幻を追い求める?
結局その女性は、いつまで経っても、自分はもてなされる側、お客様でいたい。つまりサービスを受ける方であり続けたい。ぼーっと突っ立ってたら、まわりが上手く動いてくれて、自分に一番いいものを差し出してくれる、みたいな。

って、そんなの無理に決まってんじゃん!

お客様を辞めるには、アルものに気づくことから

そんなお客様体質な、受け身を辞めるにはどうしたらいいだろう?
なにか、とてつもなく大変なことでもしなくちゃならないか。

なんて思ったら、誰もお客様を辞めようと思わないよね。大したことない、簡単にできることだったら、やってみようかなという気になる。
ということでマツコさんの件のひと言「今、築いているものに自信を持たないと旦那さんにもお子さんにも親御さんにも失礼」が効いてくる。

これの云わんとしているのは、「手の中にあるものに気づいて感謝しなさいよ」である。既にあるものに気づくということは、「自分」という主体にものごとを引き寄せるということ。自分がいて、その周りになにがあって、という意識へのスイッチ。

自分という輪郭をはっきりさせるために、「えっと、私の周りになにがあるんだっけ?」と考える、それだけ。それだけで、私が見えてくる、私が恵まれてるって分かる。ナイじゃなくてアルが見えてくる。

感謝なんていうから、他人を上げて自分を下げるみたいなのヤダ~という気持ちになるんだと思うけど、そういう意味じゃないから。自分という人をよーく見ましょうね、という意味だよ。

受け身的生き方はさして幸せでもない

周りがなんでも察してくれて、用意してくれて、分かってくれて、という人生は、それが叶わぬ側からしたら、とてつもなく幸せそうに見える。でも与えられてばかりじゃ、自分は何もできなんだと卑屈になってしまう。

やはり自分が役立ち、人に施せてこそ、幸せってもんだろ。

そしてまだあなたは施せるほど力を蓄えていない。絞り出して捧げているように見えて、どこかで見返りを求めている。どこかで私の貢献を認めて欲しがっている。それは施しではなくトレード。トレードはトレードとしてやってていいけど、それとは別に、施せるようになるために、まずは自分固め。

自分になにが授けられていて、何が手元にあって、何なら使いこなせるかを考え「主体性」を手元に引き寄せてみよう。