「結婚は?」「子どもは?」という質問が出る度、独身ないし子どものいない夫婦は深いため息が出ます。
親戚一同が集まったときのみならず、道ばたで世間話をするときにも現れるこの質問。嫌だと思っている人にはとても厄介な問題です。
なんとかならないのでしょうか。
相手の本意はどこにある?
そもそもなぜ人は悪意なく、こういうことを尋ねるのでしょう?
ぱっと思いつくのは、「相手の正体を知るため」です。
既婚なのか、子どもがいるのか、いるとすれば女の子か男の子か。答えをとっかかりに話を広げられるーそう思って質問をしている【つもり】です。
要するに、話を合わせてあげるための親切心。
でもその実、既婚ならこのネタが通じる、子持ちならこっちの話、女の子の親ならこういう悩みがあるよね、といったフォーマットが頭の中にあって、それと目の前の人の答え合わせみたいない会話をするだけ。
相手に興味を持っているからだとか、話を盛り上げようとか、ではない。
だからえてして会話がツマらない。
ホントはこうなることを彼らも薄々分かっているはず。でもやめない。その理由って何でしょう?
それは…自分のコピー探しがやめられないから。
私になるべく近い経験を積んでいて、私と同じ価値観の人に出会い、私丸ごとを肯定して欲しい。それを達成するために、出会う人であう人、マッチかアンマッチかを確かめざるを得ない。
マッチならば、心ゆくまで私を肯定してもらい、アンマッチなら相手を潰して従わせるかそもそも相手にしない。このように【適切に】対処することで、自分のつきあうべき人かどうかを振り分けていきます。
もちろんそこには、ゆっくり分かっていくとか、それとなく感じとる、といった知性の入る余地はなく、一刻も早くこっち側の人と理解して安心したい気持ち、優先。
それだけ価値観の異なる人と居るのが怖いんですね。
でも、自分と価値観が同じ人なんているでしょうか。中学や高校ときみたいな、なんでも同じを楽しむ「親友」の関係ならいざ知らず、大の大人です。生き方も背負っているものもバラバラ。出会う確率はきわめて低い。
望むこと自体、非現実的です。
心の落ち着かせ方
結婚、出産、子どもの学歴、孫の存在、といった旧来価値を崇め、「取りこぼすことなく持っている人が最強」と信じ、それらを持っていれば自慢し、もっていなければ自信なさそげにする人々。そんな相手を見て、立派だと思えますか。
結局、カメレオン的にみんながあっちがいいといえばあっちへ向き、こっちがいいといえばこっち向く人が、「結婚は?」「子どもは?」といった使い古された質問をみんなが使ってるからという理由で、口にしている。目の前の生身の人間に正対する気なんてさらっさらナイ。
要するに、生き方として卑怯。
そんな人に傷つけられることを許容してはいけません。
ですから、質問されたら、こう思いましょう。「この人は、自分のコピーを求めている」と。
相手に悪気があるとか、ないとか忖度するんじゃなくて、ただぼーっとそう思う。
そうできれば、「答えなくっちゃ」という強い衝動が治まります。ちょっとだけでも落ち着けるんですね。