なぜ人は恋をするのか

私達は、なぜ恋をするのでしょう?

それは、「生きていくのに有用だから」。
さらにいえば、「安易に命を投げ出さなくなるから」です。

私達はみな、多かれ少なかれ傷ついています。「もう、全部やめにしたいな。なかったことにしたいな。」と自暴自棄になることも珍しくありません。

そんなとき、誰かが、「そんなに辛いなんて気づかなかった。もう少し気持ちを聞かせてよ。」と言ってくれたら、なにもかも投げ出したくなる衝動が和らぎます。現実は変わらなくとも、耐えられない痛みがなんとか持ちこたえられるつらさへと変わります。

ーひとりじゃないー

を実現するために、「恋」は存在します。

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「恋」のお相手は誰?

あなたの「恋」する相手は、どんな人ですか?

見た目を抜きにすると、「私の気持ちを理解してくれる人」ではないでしょうか。この場合の理解とは、私よりも私について分かっているという意味です。

辛いとき、かなしいとき、やりきれないとき、沈んで再起不能なとき、心に寄り添い、言葉にならない言葉を私の代わりに話し、願いを実現してくれる。

まるで分身かとみまごうほどの「わたし感」を身に纏っている人と共にいると、孤独感がなくなります。

この先も、孤独感のない未来を手に入れたい、と思うから、その人と一緒にいることを強く望むようになるのです。

モテる人、モテない人の違い

ゆえに気持ちの理解度の高い人がモテ、低い人はモテません。

常に人の心を気にかけている人、たとえばキャプテンのようなポジションの人は前者、人に任せっきりで相手の気持ちなど考えもしない人は後者に該当します。俗に言う「いい人なのだけど…」というのも、後者ですね。

結婚後も、配偶者を理解できていれば夫婦円満、配偶者を理解しようとしなければ家庭崩壊になります。

人をくっつけるも斥けるも、どれだけ相手を理解できるかにかかっているのです。

「恋」の効能

これだけ理解が重視される背景には、人の生存が深く関わっています。先に述べましたように、人生は傷つくことの繰り返しです。ヒドイことに遭遇するかもしれませんし、誰かに一方的に決めにあったり責められたりするかもしれません。

そういう中で、あまりの辛さに人生を投げ出したくなるときが訪れます。

あっちの世界にいけばラクになれる、という思いに駆られ、一歩そっちへ足を向けようと踏み出そうとしたとき、そのつらさを理解しようとしてくれる誰かがいてくれたなら、なぜだか分からないけど、思いとどまれます。もう無理だ、耐えられないと思っていた痛みが、なんとか持ちこたえられる辛さに変わるのです。

「恋」のあり方を考える

だから「恋」は、ホモもヘテロもどっちもありです。ヘテロでないと許さないと考える人は「恋」を性行為の末、命を授かることとのみ捉えています。本当に恋のなせる技は、ーひとりじゃないーという感覚を心に宿すことです。

その感覚が広がって、こんどは「自分の命は自分だけのものではない」という意識が生まれます。「私が死んじゃったら、あの人が悲しむかも」と思うと、人は命を粗末にはできなくなるのです。

昨今、若者に「恋離れ」が加速している、という記事を目にします。それは、若者が孤独を感じる機会が減ってきているからでしょう。終生、なんら孤独を感じることなく、傷つけられても独りにされない盤石な基盤があるならば、それはそれで自然な成り行きだと思います。

ただ体力も知力も人脈もない晩年、その基盤が失われてしまったとしたら、どうでしょう。考えるだけで恐ろしいですね。「恋」は若いときに経験し、できるだけ若年で軌道修正を図る方が、トータルで見たとき人生にプラスなのは言うまでもありません。

恋人を得る意味

「恋」をすることは、生命力をUPさせることにつながります。

言い換えるならば、生命力をUPさせてくれる人が「自分にふさわしい相手」です。相手選びに迷ったら、「この人は私以上に私を理解しようとしてくれるか?」という点で考えてみられてはいかがでしょう。

もしあなたの最大の理解者を手に入れられたならば、傷つく日々に立ち向かえる強い自分に変身することも叶うのです。