友達のいる・いないで我々は何を推し量ってるんだ?

大人になった今では、友達のいる・いないやその数について気にすることはなくなったが、その昔、友達の多いやつは、良い奴。そうでないやつは、イマイチな奴と思って、付き合う相手を選ぶ指標にしていた。

では実際の所、我々はその指標で何を推し量ってたんだろうか?

友達がいるとはどういうこと?

友達がいる、ということは、周りの人に好かれていることを指してる。好かれているということは、一緒に居てなにかしらんいい影響を及ぼしてくれる存在ということになる。

いい影響とは、得をすることがあるということ。たとえばお金、たとえば人脈、たとえば知識、たとえば…
自尊心。

お金や人脈、知識については、ほとんどの人が凡人ゆえ、たいしたものはない。それに比べて、自尊心は凡人でも、与えてくれそうだ。

あいつと一緒に居ると、自分がいい人間に思えてくる、人の役に立ってると実感できる、なんとなく心が軽くなる。自然とそんな気持ちになれてるとき、相手は目立たないようにこちらの自尊心を高めてくれている。

言い換えると「オレを認めてくれている」。

誰かと一緒に居ることの醍醐味は、この認めてくれているを味わうことにある。自分一人では認められてるか、られてないかが分からない。だから他者に「オマエ、すごいな」と言われて、「オレって認められてるんだ~」を噛みしめるのである。

即ち友達がいる人は、「オレって認められてるんだ~」と思わせ上手な人である。

スキルの高さが生き抜く秘訣

あいつと一緒に居ると自尊心がみなぎってくるのであれば、誰だってあいつと一緒に居たがる。そうなると、あいつには人気が出る。あいつが望む望まないにかかわらず、友達の数は増えていく。

結果として、友達が多くなる。

だから我々は友達の数を気にする。友達の数の多さをもって、あいつの自尊心を向上させるスキルの高さを推し量る。

スキルが高いあいつといれば、自分もその恩恵にあずかれるからだ。

それだけじゃない。いいお手本がいれば、それを見習って自分もそうなれる。オレも周りの自尊心をあげる一端を担える。

そうやって社会に対していい還元のできる人は、重宝され、居場所を持ち続けられる。

だから友達の多い人を選ぶ。ヒューマンスキルの高い人を選ぶ。それもまた、社会で生き抜くための戦略の一種なのだと思う。