朝、回避性人格について考えていた。
回避性人格とは、積極的な対人接触を避け、親密な人間関係を築けず、遠慮気味で、
人からの拒絶を嫌い、自分を否定し、新しいことへのチャレンジ精神に欠けるといった
性質の内4つ以上当てはまる場合を指す。
この人格を生む原因として
■厳しい親から、褒められることなく義務を押しつけられた養育環境
■本人の意向を無視した受験戦争や習い事など長期に渡る苦痛を受けること
■ピンチの時に誰も助けてくれないどころか、本人が悪いと責められた過去
■社会的成功者の親と比較され、同じようになることを強いられること
が考えられる。
日本が貧乏だった頃は、生きることに必死だったので、あまり親に干渉されること
なくただ目の前のことを黙々とやっていれば、それでよかった。
また、大家族で暮らしていたので、親に怒られても、祖母や祖父が慰めてくれる
ことで、自分を完全に否定することから距離を置くことが出来た。
ところが高度経済成長した日本では、家事を家電製品が担い、学歴重視の風潮が
生まれ、時間が出来た親はいやおうなく我が子に目が行き、ガンバレーと発破を
掛けるようになった。
一億総勢同じ価値観で、競争社会が始まった。
子供としては、自分がバカだろうがどーでもいいことなのだが、如何せん親がそれを
許さない。親は世間に遅れを取るまい、いや頭一つ抜きん出て自慢したいと欲丸出し
で、子育てする。
そんな中、子供は親の子育てレースから降りることも、祖父や祖母に助けてもらう
こともままならず、ただただ毎日課せられる業務をこなすという過酷な状況に
置かれた。
彼らが成人し、社会を担う世代になった頃、彼らの中に”自分は何をしたい”といった
わき上がるものは、もう残っていなかった。
人にも、仕事にも、恋人にも、執着がない。
”どうせやったところで、意味なんか無い”という感覚に囚われれば、積極さが欠ける
のは当然のことだ。
女性は、子供を産み育てるという本能がある。そして時間の制約を受けている。
だからリミットが近づけば、焦る。つまり最終的にお尻に火が付くタイミングがまだ
残っている。
男性は、種を残すという意味での時間の制約はない。だとすれば、価値観を一変
するきっかけでもない限り、女性を追いかける必要性は生じない。
ちまたでは、いい女がいればどんな男性だって結婚したくなるという説がある。
その場合のいい女とは、フェロモンがあるとか美人とかいうのではなく、男性の
無気力さを手当てし、やる気と勇気をわき上がらせる事の出来る支え上手な人
を指す。
ところが、女性も男性と似たり寄ったりな社会背景で育っているために、支えると
いうより「情けない。がんばれ」と煽る女性が多く、男性は気力を失ったまま。
女性雑誌がその現状を見て、「男は褒めて育てなさい」と助言する。
当たらずとも遠からずの指南ではあるが、その雑誌を読んでどれだけの女性が
褒めることの意味や効果を理解しているのかは疑問である。
現代の若者に回避性人格を有している人は相当いると思う。
いわば高度経済成長が生み出した副産物だ。
その回避性が、男性の受け身性や無気力さを作ってる。要するに草食男子を
作る元。
赤ちゃんは生まれてすぐ、何にでも興味を示し、手を伸ばし、口に入れる。
つまり人間は元々興味を持って周りの世界を見たいのだ。
その性質は大人になったからといって失せることはない。
もし失せているように見えるのであれば、~したいの気持ちにブロックがかかって
本人の意識の上では、かったるい・面倒だ・意味がないという気持ちに変換されて
いるだけ。
自分を取り戻すとは、ブロックしているものを取り去り、自分が本来持つ心の中の
~したいを自分で意識できること。
そういう生き方が出来ている人は、草食も肉食もなく素直な人と周りに取られる。
命名され区別されているということが、既に人間らしさを失っている証拠でもある。