頭ん中は「男は電車ごっご、女はままごと」という事実~女編~

一方で女は、自分がそのコミュニティーの中でどのようなポジションでいるのかを気にする。
遊びでは、どちらが絵が上手いか、誰よりカワイイ服を着ているか、友達の中で自分が一番美人か、遊び友達の中で一番人に求められているか。
とにかく人目を気にして、人目におだてられて気分が作られる。

勉学では、親友より成績が上か、お母さんが比較するあの子よりいい点数か、ライバル視しているあの子よりいい学校に入れそうかを気にするし、

恋愛では、みんなが羨むパーフェクト彼氏を欲しがり、愛されている実績を求める。

女児が女児としての脳の特性を守られながら成長すると、極度に周りを気にする神経過敏な人格が育つ。
妙齢になって「婚活」を始めたところで、他人からの夫の評価と夫を選んだ自分の評価が気になって、目の前の男性のルックス・経済性・性格にダメ出し、自分と同じ外見への気遣いを求め、該当する男性を絞り込んでしまう。
結果、いつまでも【良い人】を求める婚活ジプシーに。


仮に女性の見た目がよくて多くの男性からアプローチを受けやすい場合では、女性は外身ばかりに気を取られ中身はカラッポなので、すぐに飽きられ捨てられる。経験人数だけが増え、一人の人に深く愛されないという虚無感から自信喪失する。
自信の無い女性が偶然に理想の人と付き合った場合は、過去の求められなかった自分に戻りたくないという必死さから妙に尽くしたり束縛したりして、「重い」と捨てられる。


女性は成長過程において周りから評されるだけでなく自分の中の絶対価値感を作る必要性に迫られる。
そこがクリアできるとバランスの取れた人格が出来上がる。

自分しか見えない男性と、外の目ばかりを気にする女性。
この相反する2者が生活を共にするためには、自分にはない価値観に若いときから触れ、驚きの経験と共に、他者を発見する喜びを知ることだと思う。

勉学への価値傾倒が加速しすぎて、性別の特性を修正する機会を与えられなかった子供達は、部活やボランティアを通して特性を修正された人とそうでない人の二極分化している。
モテる人とモテない人の格差が広がったからこそ、結婚に対する差を埋めるべく「婚活」がクローズアップされたのだろう。
私個人としては、数打ちゃ当たるではなく、自分の偏った脳の特性を知り、異性の脳とどうやったらすりあわせできるかを助言される方が有用に思う。

出会える運よりもむしろ、出会ったときに[相手を引き寄せ・糸を結ぶ]魅力の方が婚活には効くと思う。
せっかく出会っても、続かない・自分の思いが届かない人は山のようにいるのだから。
出会った瞬間を逃さず、結婚したいと思う人と未来を歩む。
そうしたいなら、まず相手の性の思考特性を理解する。
それが先なんじゃないだろうか。