「私は誰かのせいで不幸なんです」という人には、見直しが必要

年明け早々に、発言小町でこんな嘆きを2つ見つけました。
悲しみの行き場がなくどうしたらいいのか : 家族・友人・人間関係 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
高齢独身孤独のイライラをなくしたい : 恋愛・結婚・離婚 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

タイトル、「悲しみの行き場がなくどうしたらいいのか」と「高齢独身孤独のイライラをなくしたい」から感じることは、この人たちの2019年は暗そう~です。

もちろん、どうにかしたくて投稿したのでしょう。けれども、彼女たちは根本的な間違いをしています。

それは、納得いかない現状を「誰か」のせいにしていること。

詳しく見ていきましょう。
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一つ目の解決策

まず最初の「悲しみの行き場がなくどうしたらいいのか」のトピック主 cariciaさんの主張はこうです。
「私は病気を患っていて大変な思いをしているのに、仕事と家事を背負わされ、主人からやさしい言葉ひとつかけてもらえない」

内心はきっと ”文句を言われることのないくらい頑張っている。ちょっとミスしたからって、責める主人はヒドい人間だ”

ここで問題なのは、ミスしたことではなく、”文句を言われることのないくらい”の部分です。この方は、共働き・病気持ちでも夕食を買いだし、夕飯作り、洗濯、掃除と家事の9割をやっているとおっしゃっています。

では、それやらなくてはいけませんか?少なくとも、ご主人の分はやらなくてはいけませんか?

ご主人から見れば、放っておいてもやってくれるから、家事は誰かして当然になっている。もし放っておいたら誰も片付けない、作らないということであれば、自分でやらざるを得ないですし、なんとか妻にやってもらえるようお願いするしかありません。

やりかた次第でいくらでも状況を変えることはできます。それでも変わらずにいるのは「誰かが家事をしてくれる」からであり、その誰かは他ならぬcariciaさんです。

自分で問題を作り出しておいて、人が悪いって、そりゃないです。不満があるなら、自分を変えましょう。ご主人を責めるより、ご自分の態度を変えた方が、物事はずっと早く好転します。

二つ目のトピックの解決策

「高齢独身孤独のイライラをなくしたい」のトピック主 札さんの主張はこうです。
「モテない、友達いない、結婚できないで苦しい。感謝すべきことはしているけど、自分は誰とも関われず孤独。イライラする」

内心はこんな感じでしょうか。”なんで私だけ、こんなにも人間関係に恵まれないの。感謝とか頑張っても報われないじゃない。”

なるほど。私も通った道です。お気持ち分からなくもありません。

ではここでの問題はなにか。”恵まれない”、”報われない”の部分です。この方は、斉藤一人さんなどの本を参考に、基本的にニコニコ機嫌良く、感謝しようと努力されています。
けれど、その目的は「自分を受け入れてもらうため」。目的を達成するために、本で書いてある方法を実践しているに過ぎない。

しかし目的達成のために使われる人は、「使われる」ために存在しているのではありません。札さんの意図を察知するや否や、蜘蛛の子を散らすように逃げていくことでしょう。ですから、彼女はどこまでいっても一人です。
  
彼女が一人なのは「自分を受け入れてもらうため」に相手を「使おう」からであり、その愚かさに気づかずにいるのは他でもない札さんです。

事態の好転を望むのであれば、受け入れてくれる誰かを探すより、どうやれば「受け入れて欲しい」という呪縛から逃れられるのかを考えましょう。

雑草根性で生きる

これらに共通する観念は、「自分の不幸は誰かのせい」です。主人が悪い、周囲が悪い、と思うのは、「主人は私を優しく迎え入れるべきだ」「周りは私に友情や恋愛感情をいだくべきだ」という考えに基づきます。

では誰もがそれに賛同しているのでしょうか。
結婚したら勝手に配偶者に優しくできるのでしょうか、たまたま同じクラスや職場になったら、気持ちが引きあうのでしょうか。

そうではありません。優しくしてくれるから、思いやってくれるから、相手に優しくしたいな、惹かれるな、になるのです。すべては自然ではなく、必然。とすれば、トピック主たちが相手に優しくできるか、思いやれるかが問われます。

”誰にも優しくされたことないのに、そんな殺生な…” と絶望されるかもしれません。確かに誰にも優しくされたことないのに、優しくするのはシャクでしょう。では相手が他者じゃなければどうですか?相手を「自分」にしたらどうですか?

cariciaさんが、自分を休息させるために「家事はやらない宣言」という優しさを発揮する、札さんが、自分をいい気分にさせるために「自分の好きなことに時間を使う」という優しさを発揮する。

そうすれば、わずかながらも満たされます。自分で自分に優しく出来たとき、さりげなく優しさが入り込んで来ます。どんなに少量でも優しさを貯金できれば、それがいつか誰かに優しくしようという原動力となります。

かつては私も、優しくしてくれない周りを恨みました。なぜ自分だけがこんなに不幸なのだと嘆きました。とくに人間関係に恵まれている人を目の当たりにする度、思いは強くなりました。でも彼らと私じゃ、生まれた親元が違うのです。親の愛情深さが違うのです。

子供は3才までに注がれた愛情で、心の骨格は決まります。愛情不足の親元に生まれれば、人を思いやれない、人に優しく出来ない人として成長してしまう。でも、そういう「持たざる者」だからこその、生き抜き方というのもあると思います。

生き方は我々一人一人に選ぶ権利がある。いつまでも、生まれが悪い、周りが悪いと「誰かのせい」にして不幸面しているのが、生き抜き方としてふさわしいのでしょうか。

そこに一考の余地はあると思います。