図星なら何をいってもいいのか?問われる知性

事実なんだからしょうがないじゃない!と鼻息あらく人の欠点をあげつらう人がいます。

確かに太ってるかもしれません、目が腫れぼったいかもしれません、成績の伸びがイマイチかもしれません。でも、それを言葉にすることは、許されることなのでしょうか。

知性のある人はけしてそのようなことは言いません。口にしてしまうのは、感情を整えられていない人。いわゆる浅はかな人です。言われっぱなしで悔しい思いをしているみなさん、泣き寝入りすることありませんよ!

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知性が低いとどうなのか?

事実は事実です。反論の余地はありません。でも疑いようもなく絶対的なものであれば、どう扱われたところでしかたがないのでしょうか。

違います。

扱われ方にはバリエーションがあって、場や状況によって変化します。そして人をこき下ろす言いぐさは、どんな状況下でも忌み嫌われます。

にも関わらず「だって事実だし、しょうがないじゃない」とばっさばっさと切り落としていたとしたら、残念ながらとても大事な点を見落としている。自分の身勝手で周りの気分を害していることに気づけていない。事実という後ろ盾を武器に、悪を成敗して、いい気に浸っているのです。

そこには人間らしい容赦とか情けとか、といった配慮の入る余地がありません。だからこそ「そんな意地悪しないで」というささやかなお願いさえ聞き入れられずにいるのです。

考えに広がりがなく、勝手知ったるたった一つのやり方にとどまる。これが知性の低い人の特徴です。

知性が高いとどうなのか?

では知性が高いと、どうなるのでしょう。

やり方に二つ以上のバリエーションを持ちます。ただ斬るだけでなく、もっと発展性のある、言われた人が前向きになれる方法をしっています。そして好んで後者を選択します。

「事実だからといって、そのまんま口に出すのは感情の衝突を生むことはあっても、改善に繋がることはない」と分かっているからです。

事実を突きつけられた相手の困惑を予測して、「こういうのはどう?」とか「あなたならもっとよくなれる気がする」とこの先を示してあげる。すると、言われた方は見通しが立つばかりか、応援してくれてると、勇気づけられます。

「やる気を補充することで、当人が動きたくなる仕組みを作る」これが人という性質を熟知した人の振る舞いだと思うのです。

どんなに頑張っても、その人に成り代わることは出来ません。その現実を粛々と受け止め、相手の可能性を引き出すよう仕向けるのが、知性の高い人と特徴と言えましょう。

それは本当に凹むこと?

世の中は不公平で、たくさん持つ者もいれば、そうでもない者もいます。持たぬ者がたくさん持つ者に近づくには、ダメ出しをされるより、どうしたらいいかを教えてもらうのが一番です。

そして知性の高い人は、「二者の格差を埋めることが幸せの本質」と心得ています。自分だけの幸せはしょせんちっぽけな優越感をもたらすに過ぎません。それに比べて皆が笑顔になれる幸せは、幾重にも重なって広がって、それこそ無限の幸せをもたらします。周りが幸せになれば、幸せの輪となっていずれ自分にも戻ってくる。だからこそ社会全体の底上げに労をいとわないのです。

反対に知性の低い人は、少しの労も出し惜しみます。自分の取り分を誰かに分け与えたくないのです。そればかりか、問題をなるべく早く追い払おうとします。だから見えたものを見えたままポイっと投げて、相手を潰しにかかる。そうすれば目障りなものを取り除けるとともに相手の戦意を削ぐことが出来る。でも内心はじっくり考えられないアホな自分を見たくなくて、必死で相手叩きしているだけなのですよ。

浴びせられる強い口調に騙されてはいけません。それは弱さを隠すためのカモフラージュです。

攻撃を封じる技

知性の低い人が見たものを見たまま語ってしまうのは、過去に同様の痛みを感じ、その傷を手当できていないからです。「やられたから、自分も弱そうな誰かにやってやる」しか思い浮かばない。いうなれば、それ以外の方法を試みたことがない。

その単純さを突いた防御方法があります。

相手を主語にして、見たままを語るやり方そのものに疑問を投げつけてみる。たとえば、
「そんなに容姿をどうこういうなんて、自分のコンプレックスを隠したいからじゃないの?」

こうすれば、否が応でも「なぜ自分はそのようなことをいうのか」に視点を移らせざるをえず、攻撃の手が緩むばかりか、追攻撃からも逃れられます。なぜって、攻撃すれば、攻撃仕返されると相手も学習しますから。

事実は事実だとしても、それをそのまんま言うのか、相手のために言葉を整えて言うのかは、発言者の知性によります。知性の低い発言者のレベルにつられて、同じ次元に落ちてる場合じゃないですよ。しっかりと自分の知性に応じた未来への改善点に目を向けましょう。

そもそもあなたはあなたとして十分価値ある存在なのです。