ずっとパシリの人生から抜けるには?

なんでこんなに人にコキ使われるんだろう?パシリにさせられるんだろう?

そう思ったことありませんか?

同じ人間、そして仲間。なのにあの人は、持ち上げられて、私は使われる。その差はどこからくるのでしょう。

実は日常のほんのささいなところが違っているのです。日頃の態度を改めることで、パシリから解放されてみませんか。

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「使われる」人生になる理由

あなたは家で電話が鳴ったら、①取る②取らない③取るか取らないか考える、のどれを選びますか?

友達からお誘いがあったら、①行く②行かない③一旦考える、のどれを選びますか?

この中でパシリになる人は、①と②を選びやすいのです。相手からのプッシュがあれば、即座に応じる。

けれども考えてみてください。お願いしたのならまだしも、完全に相手のペース、相手の勝手にアクションされてるわけです。相手が勝手なら、こっちも好き勝手でよいではないですか?

それを考えず、応じなきゃ!と思ってる、その考えにこそ、「使われる人生」が確約されているのです。

相手か自分かどちらを優先する?

人間は喰うか、喰われるかです。

すぐに応じなきゃ!と自ら「使われる」側に飛び込む人間は、どうやったって、喰われる側に回ります。それは実力が無いから、ではなく、自ら「使われる」穴へと飛び込んでいるからです。

「使ってください」というなら「使ってあげましょう」というのが相手の言い分。相手は、とても自然にあなたのことを「使っている」のです。

けれども、あなたはそれに不満があるんですよね?「使われる」人生に辟易しているんですよね?

じゃあ、どこを変えましょうか?

そこで③を見てみます。③は、応じなきゃ!ではなく、応じるかどうか考える、という態度。相手の好き勝手、に対して、自分も好き勝手するんだ、としています。

つまり、相手と自分は、同格とみなしている。この「同格」というのは、とても大切で、相手に意思があるように、こっちも意思をもっていい、という許可を与えています。

言い換えれば、自分に対する尊重です。

自分を優先しても相手を傷つけない

このように好き勝手することが、「相手を傷つけるんじゃない?」と思うかもしれません。

それでは、なぜ傷つくと思うのでしょう。相手はあなたを人としてではなく、人権のない奴隷とみているのですか。

違いますよね。

ちゃんと意見を言えれば、それはそれで耳を貸してくれる。さらに言うと、相手よりも広域の視点から物を言えれば、有り難がって聞いてくれます。

相手も、”これであってるかな?”という不安を抱えています。だから即答するより、じっくりと考えて答えを出してあげた方が、”相手(私側)も考えてくれたし、大丈夫”という安堵が生まれて、不安を払拭してあげられるのです。

日常のささいなことから変えていく

では、実際にどうやっていくのがよいのでしょう?

中には、人前だと緊張して頭が真っ白になるから、いきなり実践で③を選べないという人もいるかもしれません。そんなときは、無生物を相手にしてみるのです。

たとえばスーパーマーケットに行って、お菓子の棚の前を通り過ぎます。色とりどりの中に、美味しそうなものを見つけます。それを手に取り、かごに入れる…のではなく、手に取った段階で、「これは自分にとってどういう意味を持つ存在なのだ?」と考えるのです。

このお菓子を買うことで失う資産、代わりに得る体験を天秤に掛ける。自分で「考える」のです。そして、一旦棚に戻し、次回来店まで天秤が揺るがなければ買おうと心に決める。

すぐに答えを出さないことは、はっきりいってしんどいです。買ってしまえば、記憶から削除できる。けれども敢えて答えを出すのを保留して、しんどさを抱腹した自己決定を我に課する。

大したことのない選択でも、選ぶという主体性を発揮することは、我の輪郭を際立たせ、我を意識させてくれます。

お菓子相手なら、緊張せずに済むでしょう?
最大の損害は、次回そのお菓子が売り切れてて買えないくらいなのですから。

自己決定が個人主義を作る

こうやって自己決定ができると、群れることから距離を置けます。パシリかそうでないか、ではなく、「個」としての自分が確立される。

結局パシリに甘んじていたのは、自分の確立を他人に託していたからです。人に求めてもらって、認めてもらって、私という存在が確認できる。もし、人が自分を必要としなくなったら、そのとき自分は死ぬ、と思っているから、「考える」力を持たないあなたは、パシリというポジションに居るしかなかったのです。

マツコ・デラックスさんが言っていました。「人はどこまで行っても孤独」。「独り」で「孤」として生きる以外にない。その事実に正面から向き合えば、「自分で自分をどう確立するか?」に行き着きます。

新しい時代の幕開けと共に、もうそろそろムラ社会を脱して、「個」人主義へとシフトしてみませんか?