AC(アダルトチルドレン)の人で、「人の気持ちに敏感なんで、ついつい思ってることが分かってしまうんですよね」とおっしゃる方がいます。
とくに不機嫌さや怒りのようなものにたいしてひどく共振してしまうようです。
でも、ホントでしょうか?第三者からみると、人の気持ちが分かってるのではなくて、自分に降りかかってくる災難に敏感なだけのように思うのです。
詳しく見ていきましょう。
顔色をうかがいすぎ
人の気持ちが分かる理由の一つに「観察」があります。相手の顔をよくみているから、「あっ、いま機嫌悪い」「なんかイライラしてる」と察することができる。
しかし表情はあくまで表に出てきた結果。出てくるまでの過程はブラックボックスです。
たとえば怒りの元は、否定された哀しみ。哀しみが浄化されることなく、行き場を失って、しょうがなく怒りに転化されている。
人の気持ちが分かるというのなら、分かる対象は、哀しみのはずです。
表面上のものに意識を奪われてる時点で、人の気持ちを分かっているとはほど遠い状態と言えましょう。
行動指針が自己防御
人の気持ちが分かりすぎるがゆえに、答えがイエスばかりになる。相手に刃向かったら、機嫌を損ねるのではないか、傷つけるのではないか、と心配なのです。
一見すると、配慮の塊のように見えますが、はたしてそうでしょうか。
誰でも真っ向から否定されると気分悪くなります。かといって、間違ってることを教わらず恥をかかされるのも御免被りたい。だとすれば、否定するのではなく、間違いを気づかせてあげればいいのです。
人の気持ちが分かっているのなら、この「否定されたくはないけど間違いに気づきたい」を実現してあげようとするもの。けれども、人の気持ちが分かっていないので、「下手なことをいって機嫌を損ねたくない」という自己防御の気持ちが優先されるのです。
様変わりが早い
人の気持ちが分かるという人ほど、「いつも味方いて欲しい」という人の基本的欲求を理解していません。形勢が逆転すると、あっさりと寝返る。
理由は簡単です。マジョリティーの意見こそ、正義だから。
マジョリティーはパワーを持ちます。そのパワーに抗わないのが最高の解と信じて疑っていません。
人の気持ちを分かっていると主張する人の正体
こまめに顔色をうかがい、YESばかり言ってたかと思えば、ある日コロっと態度を変える。
これが人の気持ちを分かっていると主張する人の姿です。どうですか?私の気持ち、分かってくれそう?
全然…ですよね。薄っぺらい付き合いにしかならなさそう。
そもそも人の気持ちが分かるのであれば、「私、人の気持ちが分かるんです!」という「我」丸出しの言葉なんて、口にしません。そんなの目障りだって、きちんとわきまえてます。
結局のところ、「人の気持ちが分かる」と主張する人ほど、自分を守りたい思いばかり先行して、人のことなどどうでもいい、というのが実情です。
ただの自分ダイスキさんです。