絶対に店を決めようとしない友人の心理

誘っておきながら、「忙しいから、お店はよろしく~!」って言われると、どっと疲れがでることありませんか?

誘ってきて、それかよ💢

一方的に要求は突きつけてきて、あとは知らんぷりでは、あまりにも無責任すぎます。そんな人は一体何を考えているのでしょうか。

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友人関係はパワーバランスが大事

ネットで探してみると、出るわ出るわ、たーくさんの「お店決めようとしない友人エピソード」であふれかえっています。

丸投げされた方も自己防衛として、「私よく知らないから、お願い」「前は私が決めたから、こんどはそっちが決めて」と、できうる限りの抵抗を試みますが、最終的に決めさせられると嘆いておられる。

極めつけは、相手がガンとして決めないまま当日を迎え、行く店の名前を言わせたら、相手はそこから一歩も動かなくなった、というエピソードまでありました。

どれだけ店を決めるのが嫌なんでしょう。

丸投げされても、好き勝手決められてラクでいい、と思う人もいなくはありません。

けれど私達は、一人一人意見を持ついい大人。意見は出し合って、調整し合って、ナンボでしょう。意見が一方的に通るのは、パワーバランスに欠けます。

店選びを嫌がる理由

では、なぜそんなにも店を決めたくないか。

表向きはこうです。

  • 店を知らない
  • あなたの方が店選びのセンスがあるから
  • 自分が選んだ店がマズかったら嫌だから
  • チョイスに文句をつけられるのが嫌だから

でも本当は違います。怖いのです。決断し、責任を取るのが怖いのです。

時を遡ること十数年、友人が幼い頃、「○○したい!」と母親に訴えると、「○○なんて、とんでもない。△△にしなさい!」と怒られました。希望をとんでもないこと扱いされた幼な心は、ひどく傷ついたことでしょう。そういう体験を通じて”我を通してはいけないんだな”と学びました。以来、人に合わせることをヨシとして生きてきたのです。

もしここで意見を言えと促されたら、昔の記憶がよみがえって、とんでもないって言われないだろうか、と思うあまり、足がすくんでいるのです。

それともう一つ。他者のことを考えるのが、面倒なのです。店選びは、交通の便、食の好み、店の雰囲気、予算等、あらゆることを考慮せねばなりません。自分だけならともかく、相手の状況を考えるのがメンドクサイ。

友人は人のことをもてなす、思いやることが大嫌いなのです。そういう人だから、会うとほとんどが自分話。愚痴、自慢、噂話、どれをとっても、こちらからすれば「知らんがな」と思うようなことばかり聞かされます。

一緒にいるのに、こっちの意向を読み取るそぶりさえみせない。だから、話を切り出しても、「ふーん」と興味なさそげな返事をする。ハナから話なんて聞く気がないんです。

自分を見直す

さて、何事も怖れてやらず、人を思いやることを面倒と思う人間。付き合うに値するのでしょうか。

これを読んでいるあなたは、なんども店選びをやらされて、とほうもなく疲れています。そんなあなた自身、疲れにムチ打って、これ以上我が身を働かせるの?

あなたが間違えてるとすれば、そうやって自分を酷使しようとすること。

約束がナシになってもよい、と割り切って、「疲れているから(←ホント)、店は選べない。あなたに任せるか、約束はナシにしよう。どっちがいい?」と選択を迫ります。

どっちに転んでも、疲れが加速しないという意味では、妥当な落としどころでしょう。

疲れるが意味すること

人は自分一人分の責任は背負えます。余力があれば、力を貸すこともできましょう。

ですが強制されて背負うことは、出来ません。自分の意思と無関係に、背負わされることは、ひどく疲れを伴うものなのです。

はっきりいって力量オーバー。意識がそう訴えかけているのです。

給与を支払われる職場ならまだしも、ただの友人であれば、無理して力量オーバーに耐えることはないんですよ。

すっきりとお断りして、自分のぶんだけ背負いましょう。

あなたの人生はあなたが決める。友人の人生は友人が決める。

この区切りがはっきりとついたら、断ることもまた自分の責任なのだと徐々に解っていくのです。