子どもの不幸を願う親がいることを忘れてはいけない

親は、お腹を痛めて産んだ子を愛おしむものだと、考えられてきました。幼子を全力で護り、思春期は温かく見守る。いつも味方でいてくれて、困ったことがあったら一番に相談したい人、一番理解してくれる人が、親なはずでした。

しかし、世の中は言うほど親子愛にあふれてはおらず、親が子を愛していないこともあるのです。親子はこうあるはずだ!という理想に囚われて、酷いことをされても、自分を守ることすらできない人が大勢います。

怒られるあなたが悪いんじゃない。あなたの不幸を親が願っているのです。

めずらしくない暴力的な親

クライアントの話を聞いていると、高確率で「包丁」というワードが出てきます。包丁を振り回す親、包丁で刺し殺そうとする親、包丁で自殺しようとする親。子どもの安全を考えるなら、刃物のような危険物を持ち出すことなどありえません。そんな考えをもつことすらできず、感情のままに刃物をぶん回さざるを得ない人。それが、あなたの親なのです。つまり、「あの人」は親である前に、一人の人間で居続けます。

「あの人」の関心は、感情をどう処分するか。目の前に弱そうな存在(子ども)がいたら、ためらうことなく利用します。愛が欲しければ「愛せ」と脅し、鬱憤が溜まっていれば罵詈雑言を投げつけ、我が身を嘆きたければ自己憐憫を聞かせまくる。

さらには、子どもの自尊心を踏みにじったり、不倫話を披露したり、自分がどれだけ優れた人間かという自慢話を始めたり。嫌なヤツの要素をギュッと凝縮したような行動を起こすこともめずらしくありません。

親に向ける冷静な目を持とう

結局、親と子なんていうのは上辺(ないしは生物学上)だけで、根っこのところでは、人間同士ということです。あなたを護ってくれる存在ではない。「あの人」は自分のことだけを大切にしています。

この大局観を持てずにいると、「親を嫌ったり、憎しみを抱いたりする私は、性根が悪いんじゃないか」という【無駄な】罪悪感を抱くはめに陥ります。親は身勝手、やりたい放題なのに、子どもだけが、それを受け入れることの出来ない自分を責めてる。いやね、どう考えても、受け入れるような案件じゃないですから。ヘンだぞって気づきましょうね。

ヘンって思えないなら、しっかり洗脳されてますよ。友達が、壺にお金をつぎ込んでいたら、「あんた、欺されてるよ。目覚ましな!」って声かけるでしょ。なのに、この問題だけは、「そうはいっても血はつながってるんだしー」で済まそうとする。古来から続く家長制度かなんかの刷り込みですか?時代は、戦中の昭和ではなく、令和ですよ。大日本帝国憲法ではなく、GHQ主導のもとに「人権」の尊厳を説いた憲法の下に我々生きてるんですよ?人権は親より優先されるんです。

って、ちょっと熱く語っちゃいましたが、大事なのは、「人権」を重んじるということです。親とか子とかの前に、我々は平等です。心をもった一個人です。親だからなにやってもいいわけじゃないし、そもそも子どもを思ってやってるわけじゃないし、むしろわざと攻撃をしかけてきてるってこともあります。

理由は、子どもがもっとも身近な存在だから。身近な存在と較べて幸不幸を推し量るクセをもつ我々人間は、相手が不幸であれば、「これよりはマシ」と慰められた気になります。その気分に浸りたくて、子どもを利用する親の多さよ(嘆)。いくら子どもを産んでも、芯から親になりきれる人は希少なんです。

自分の親は、神でもなく、芯から親になりきれる人格も備えてはいない、自分を可愛がるだけの狭量な人です。気分がよくなるためなら、我が子の不幸を願うこともいとわず、平気で叩いたり、潰したり、貶めたりする。親がそういう態度に出ているのなら、子どもだからって遠慮することはありません。あなたを護れるのは、あなただけ。叩きつぶされた心を、そういう運命だからと諦めないで。

強く生きてください。あなたには生きる価値がある。