頭がいいことの弊害

大学のY先輩が、「助けるときは手を出しすぎてはいけない」と話していた。
おーなるほど、確かに助けだしたらついつい最後までとか思ってしまう。
助ける側がガマンすることも大切なのだ。

が、このY先輩、大学を首席で卒業。とても頭がいいのだ。
だからY先輩の基準で助けるとなると、困っている度が相当のときだけになる。

困っていることが良いストレスとなり、伸びるタイプは先輩と相性がいい。

でも、困っていることが悪いストレスとなり押しつぶされるタイプに先輩は
厳しい人と映る。

先輩の親は放任主義で、全て自分の責任でやりなさいと育てられたらしい。
だからなんでも好き勝手やってみて、勉学も遊びだと思ってやっていたら
こんなに賢くなってしまったのだ。

こんな風に育った先輩には受験戦争で苦しんだ人は理解できないし、能力が
ないことへの劣等感なんて共感できない。
劣等感抱く暇があったら勉強すればいいじゃん!と思ってしまうそうな。

今の30代は受験戦争をくぐり抜けて、やっとこさ社会に出た組だ。
どちらかというと親が干渉気味で、自由に勉強というより、強制的に勉強した人
の方が多いのではないか?
そういう人は、大して勉強できなかったと思う。人間は嫌々やったことは伸びない。

受験戦争した人と自由に勉強した人のできる・できないの閾値は異なる。
先輩は閾値の違いをどれだけ認識しているのだろうか?
先輩の話を聞いていると、どちらかというと手を出しすぎないことに神経を払って
いるように思えるが、能力のない凡人からすればもう少し手を貸して欲しい。

頭がいいことは、社会人としては強いが、能力の低い人を理解するという意味では
弱い気がする。
一番強いのは、能力が低い人が能力をつけた場合。
弱さは強さを生むし、思慮深さも思いやりも生む。
私は最初からの秀才より、コツを見つけて後から伸びた人の方が好きだな。