「レスします」への違和感

かなりどうでもよいお話です。
発言小町に返答する際、題をつけてから内容を書く仕様になっています。
その題に「レスします」と書く人がたまにいるのです。
そのことが気になってしまう。

おそらく返答者がレスポンスをするのだからと無意識に題を付けているのでしょう。
確かに質問者は、他者に回答を求めています。
ただ、特定の人ではなく、あくまでも”だれか”に求めているのです。
そこへあたかも、「私が指名されました!」と言わんがばかりの題をつけてしまう
のは何故なのでしょう?

その返答者にとって、発言小町が自分を確かめる手段だからです。

”困っている人がいる。その困っている人を助ける自分がいる。だから自分は
意味のある人間だ。”と思いたい。
でも、その人の返答内容は必ずしも質問者のためになるものではないケースも
あります。例えば自分の場合は・・・と返答するなど。
人は一人一人置かれている状況が違いますから、あくまでも質問者の場合を
考えなくては、質問者を落胆させてしまいます。
その結果、「レスします」と文章を寄せた人は、表面だけの感謝か、無反応を返され
ます。
心の中できっと消化不良を起こしているでしょう。

人を助けるというのは、自分を試されるということです。
自分が役に立ったという満足を得るために、困っている質問者を利用しては
いけません。
自分で自分を満たすことが出来て、余った力で他者に力を分けるのです。
返答者はそういう無垢の心を持てているのでしょうか?

情報の共有なら、自分のケースの紹介も役に立つことでしょう。
感情の問題の場合は、慎重になった方がよいかと思います。
人を支援するというのは、思ったより難しいものです。
気を抜いていると、ついつい感謝されたい、必要とされたい自分が紛れ込む。
カウンセリング相談を通して、自分で痛感しています。