他者を他者として認識できない人だらけ

人間関係についていろいろ考えることが多いのだが、大概の人は、他者に対する
認識が間違えている。

他者とは、自分とは違った価値観を持っている「よくわからない存在」(泉谷閑示)

なのである。だけど、よく分からない存在であるにも関わらず、自分と同一視したり
はたまた、わからないからムシしちゃえとなったりして、互いの関係性が構築できない。

よくわからない存在だからこそ、注意深く観察し、相手の言葉を聴くのではないだろうか?
そうやって初めて、共通の考えが見えたときに通じたとおもって喜ぶのだろう。

こんな簡単なことを認識していない人が多すぎる。

私の配偶者に関して考えてみると、相手(私)のことが分からないから、自分に置き
換えて考えてみるそうな。
ってそれ、自分と相手の価値観が同等の場合しか使えないじゃん。

もちろん私は配偶者と全く異なる価値観で生きているから、病気の時に放っておかれる
ことは、平気ではない。(彼は平気らしい。むしろ当然らしい。)

そんなことを不惑過ぎて平気で口に出すなんて、こっちからしたらスーパー驚きだ。

このように年を重ねたからと言って、他者という存在が理解できる訳でもない。
ためしに近所の自分より年上のおばちゃんとか、親、祖父・祖母の言葉を思い
起こしてみるといい。
「結婚はしないの?」「お父さんはおまえに野球選手になって欲しい。」
「いい大学でるんだぞ。」「恋人いないの。寂しいねえ。」

こんなこと言われたことはないだろうか?そして、心のどこかしらんで、重苦しく
感じたことはないだろうか?
他者と自分は明らかに違うのに、相手はまるで自分の分身かのように、価値観を
押しつけている。
そういうことをする相手の愚かさに早く気がついて、防御する姿勢を身につけたいものだ