この人じゃなきゃいけない必要性

自分にとって、「この人は他の人と替えがきかない」という存在はいるだろうか?

人は相手が自分にどう接してくれるかで、相手の価値を定める。

だから自分を認めてくれ、和ましてくれる存在を大切にする。

ところが実際生活の中で会う誰かは単なる時間つぶしの相手だったり
生活するために必要な相手(配偶者)だったりする。
そして、心に寄り添ってくれる人がいないと寂しさに打ちひしがれる。

寂しさを埋めるために、形だけの友人を作り、恋人をつくる。
この先になにがあるんだろう?なにを生み出せるのだろう?
孤独はどこまでいってもなくならないよ。

世の中って不思議で、自分が寂しさを埋めるために友人を求めれば、同じような
考えの人が寄ってくる。
寂しいもの同士集まって、余計寂しくなる。皆で馬鹿騒ぎをしていて、解散した後
無性に寂しくなる感じ。
本当の繋がりは、一緒にいるときだけ感じるものではなく、余韻もある。
一過的な繋がりは、一緒にいるその瞬間しか感じられない。

寂しさを埋めたくて人とつきあうのに、人の輪に入っても、代替のきく誰かを演じれば
結局自分は必要とされていないという現実が突きつけられ、無価値感に押し潰され
そうになる。

だけど・・・ほっといて人は人から必要とされるすばらしい人間になれるだろうか?
慈悲深い誰かが自分の前にやってきて「あなたはすばらしい人間だし、必要だよ」
と言ってくれるのを待つ?

それより自分で自分を必要とするところからはじめては如何。
自分が満たされて初めて力が余る。その余った力を他者に分けているうちに、
他者のうちの何人かが自分のことを大切に思うようになる。
無理に他者に何かを差し出す行為は、自分を疲弊させる。
差し出したくなるまでゆっくりと自分を育てることに集中すればいい。

余った力を他者に分けることができると「あなたじゃないとダメなのよ」という
言葉を耳にする可能性が出てくる。長い道のりなので、焦らずゆっくりといこう。