長すぎる春について考える

長くつきあったカップルは破局するというジンクスがある。これを検証してみよう。

長くつきあったのが、意図的だったのか、結果そうなったのかで、破局するかどうか

決まる気がする。
理由があるなら、決まった年数つきあって、結婚という運びになるのだから、問題ない。
それより、だらだらつきあって、結論を出さない方が破局する可能性は高いだろう。

人間はゴールが決められていないのに、振り回されると不安になる。
さらに、今ある環境から理由がない限り別の環境に移行したがらない。

つきあっている二人は、互いに別々の価値観を持っているのだから
共通のゴールなく、時間を費やすと、どちらかが不安になるのは当然である。
けれども、今まで築いてきた安心できる環境を手放すのは嫌で、なかなか別れない
のだろう。

しかし、人間は限度という物がある。
よって、どちらかが結婚するのか・別れるのか選択を迫る。そこで、結婚という
決意をしてまでも相手と一緒にいたいかどうかを考え、結論を出す。

仮に、離れたくないから結婚するという結論に至ったとしよう。
けれども、二人でゴールを決めて一緒に歩いていくという姿勢が出来たわけでは
ないから、結婚してから降りかかってくる問題に対し、片方はつきあっているときと
同じく問題を先延ばしにする。もう片方は、この人はどうするつもりなんだ?考える
つもりはあるのか?と結婚前と同様、混沌とした環境に置かれる。

そういう経験が積もり積もって、「性格の不一致」ということで離婚する。

ここで問題なのは、性格の不一致なのか?
ゴールを決め、進もうとしない意気地のなさではないのか?
全く同じ日常というのはないにもかかわらず、かたくなにいまいるポジションに固執
してしまうほど、心を閉ざしてしまっている人間性に、発展や変化は見込めない。
そんな石像のような人間は、人間同士で関わって互いに変化するという社会に
とけ込めるのだろうか?

結婚に向かない相手がいたら、さっさと乗り換えた方がいい。人を変えることは
できないのだから。
一生石像で居ろ!と捨て台詞をいって、自分の人生が豊かになる方向を探った方が
合理的だ。