興味ってどうやったら湧くんでしょう?

Sさんと昨日話したこと(背景:ここ2週間完全に会話がない)
私:ずっと黙って生活しているけど、この環境をどうにかしようとおもわないの?
S:精神的によくないと思う。(主語が抜けているのでSさんか私かわからない。)
私:Sさんが原因なんだけど、なんとかしようという気は起こらないの?私の心を
  知りたいと思わないの?なんにも聞いてこないけど。
S:心なんてわからない。自分が悪いと思っていない。

何度もブログで書いたように、Sさんは人間に興味がなく、従って人の心を見よう
としたことが一度もない。そもそも心ってなにかを理解していない。
相手の不安な心とか寂しい心というものが想像できない。

さて話は変わるが、人がある領域に興味をもつのはなぜなんだろう?

例えば女性はうわさ話が好きだ。
「誰々さんと誰々さんがつきあっている」だの「破局した」だの。
だからこそ大桃さんと麻木さんのどーでもいい愛憎劇に世間は関心を向けたのだ。
その事象自体は、なんら実生活に影響をもたらさない。
知らなくてもいいことなのに、なぜ知ろうとする?

仮に単なる知識としてつけたいというならば、もっと意味のある数学や物理の
情報、生物学や哲学の論文を集めればいい。
ところが女性はそういったものにからきし興味がない。
うーん(汗)。分からないなあ。

しょうがないので、自分にスポットを当てて考えてみる。
私の興味の対象は、心理学/哲学/生物学/ファッション/言葉遣い/音。
これらは私という人間を理解するために必要だったから。
私自身が生き方に迷い、自分というアンデンティティを見失いそうだったとき
「アンタってこれよ!」と教えてくれる対象にすがりつきたかった。
これらの対象を通して、自分ってどんな人間なのか理解するようになった。

そうだ!私は生きるために、自分を理解するために、このような対象が必要だから
興味を持ったのだ。

では、先の女性がうわさ話が好きというのは一体どういう意味があるんだろう?

女性は古代家庭を守り、子を育てるためにコミュニティーの中で円滑に生活する
必要があった。ということは横の繋がりは大変に重要な要素であり、繋がるために
うわさという情報を手に入れていた。要するに生活する知恵みたいなもんだ。

現代は女性も社会進出し、そこまで地縁や近所の縁を気にしなくなった。
ところが、進出してみたもののどうも確固たる自分ができあがらない。
仕事もできる・お金もある・友達もいる けど自信がない。
自分って社会のどの位置にいるんだろうってついつい確かめたくなる。
そこへうわさ話が流れてくる。
「あーあの売れている芸能人でも、恋愛は上手くいかないんだ。だったら私も
まだまだ大丈夫。」と安堵するためにうわさ話は尽きることなく、伝えられるの
ではないだろうか?言ってみれば現代版、安心のよりどころ。

必要は発明の母とはよくいったものだ。
必要だから、集める。考える。帰納と演澤を繰り返す。

Sさんは生きる過程で一度も、自分の心を誰かに分かって欲しいと思ったことがない
のかな?
分かって欲しければ、一生懸命に伝えるし、相手も心を持っている存在と
認識できる。
相手の不安な心とか寂しい心といった表現も理解できる。

昨日日経ビジネスで「理系君」に関する記事を読んで、強弱はあれど、理系君
のアイデンティティは「特定の領域を追求すること」であり、それ以外は全て
興味対象外と切り捨てている特性を持つことがよく分かった。

理系であるSさんも、プログラムの本を飽きもせず読み続けている。
パートナーである私の心は「興味対象外」と切り捨てているのだろう。

言葉を尽くしても、伝わらないことはある。
興味を持てといったところで、相手は必要性のない対象に興味などもてないのだ。
だから、人に興味を持たない人とは結婚しないことを勧める。
結婚する心理的意義を全く見いだせないから。

理系君と一緒にいる相手は、「だってなにも自分でできないんだよ。私が世話
しないと、理系君がダメになっちゃう」と思ってしまうだろうが、案外彼らは
してもらえないことに不満を抱かないのだ。
たとえ、苦しくてぶっ倒れても、相手に介抱してくれなかったと恨めしく云うことはない。

日経の記事を読んだとき、盲腸で激痛が走っているのに、病院に電話するより
ビデオのラベル貼りを優先した理系旦那の記事を見て、心の分かる人間とは
異なる価値観で生きているんだなーと、つくづく実感した。

人の優先順位って思ったほど普遍的ではないのですよ。