恋人を作ることは寂しさから逃れることにはならない

学生のころ、一人暮らしを始めて、親の毒牙から距離を置くことができた。
けど、同時に一人という環境が自分を襲った。
もともと寂しがり屋だったけど、なおいっそう寂しさが身にしみた。
そこで、彼氏を作ることにした。

まあ男子学校みたいな環境なので、そんなに彼氏を作ることは苦労しない。

しかし学内はいまいちだったのでバイト先で作った。
けれど、付き合っている間に安心をしたことは一度もなかった。
時間つぶしの相手ができただけ。
味方ができたという感覚はなかった。

それから先いろんな人とつきあってみたけど、結局のところ一人とも互いの存在を
感じあい、一緒にいることを喜べなかった。
単純に分子と分子がある空間にいるだけ、化学反応してない。

付き合う人を間違えているのかとずっと思っていた。
けど寂しさの正体は孤独への理解度の低さだった。

孤独はあるのが当たり前。ご飯を食べるのもトイレに行くのも、映画を見るのも
誰かと融合して行うことはできない。すべて一人の行為。
だから、我々は独立した分子として、その場にいることを受け入れる。
その上で、分子同士がぶつかって、時に熱を発し、時に化学反応を起こすという
動的変化が起こる可能性を秘めた存在として、今ここに在ると理解すること--
すなわち「愛」をあきらめないこと--
が、孤独を前提とした生き方なのだ。
ここに恋人とか他者の在り方は関係ない。自分がどう在るかだ。

赤ちゃんとお母さんみたいな乳児愛着を恋人に求めれば、いづれ相手は悲鳴を
あげて、逃げていく。
20歳を越えた大人は、誰に頼るでもなく孤独を受け入れる姿勢を身に着けないと
泥沼にはまって、足が抜けなくなるよ。