引きこもりが長引く訳

年老いた親が子供の未来を悲観して殺すという事件が後を絶たない。
社会に目を向ければ、まだまだ引きこもりの人々を救うインフラは整っていない。
だから家族が引きこもりの子供を全て受け入れるしかない。

では、何故に社会が引きこもりに対しなんら有効な対策を打てないのか。

それは心という対象の扱いの難しさ故だろう。
誰でも経験があると思うが、頭では××しなくては と思っているのに、気持ちがついて
いかないことがある。
引きこもりの人も十分頭では危機感を持っていて、このままじゃダメになると焦って
いる。だけど心がピクリとも動かない。怖い・やりたくない そういう感覚に支配されている。
心が動かないと、身体は動かない。

だから引きこもりの人たちが取り組む一番の課題は心を解き放つことなのだ。
けど、考えて欲しい。我々は心の解き放ち方なんて習ったことあるか?
人は長いこと暮らして、稀に心の琴線に触れる言葉にであうことはあれども、頻繁に
そのような環境に遭遇しない。
また、なぜ琴線に触れたのかを深く考察する場を与えられない。
要するに、心ってなんなのと知る機会が極端に不足しているのだ。

いろいろな精神科医が著作した書物を読んでみたが、ニュートラルな気持ちで心に
対して処方できる精神科医も少ない。
大方の精神科医は、方法論や過去の自分のトラウマを解消するために有効だった
手段を治療の核として使う。
ところが、患者一人一人は違う価値観でいるために、その精神科医の処方が
合わないことが多いのだ。だから何年たっても完治しない患者が大勢いる。

心を治すことを生業とする医者でもこの状況である。ならば一般人はどれほど
心の触れることが出来るであろうか?
心の問題は、己を知ること・人のあり方を知ることが出来た人だけが扱える。

引きこもりが長引くのはそういった人間として真に自立した人間が不足している
ことが原因ではなかろうか?
と同時に、心を開くことには労力と時間が要るという事実を、しっかと心に留めて
いる人が少ないことも原因と考えられる。

人間はディジタルではない。あれをやったら治るとかそういう世界ではない。
山深く積もった雪が、春の光を浴びて徐々に溶け出すような遅さでしか変化しない。
援助者と話をして、ちょっとだけ心が開いて、また閉じて、そして援助者にあって
またちょっとだけ心が開いて・・・と繰り返しているうちに、閾値を超えて心が真に開く
瞬間が現れるのである。
その間援助者は忍耐強く話を聴くことを要求される。

これだけを聞けば援助者は相当なリターンがないと出来ないことも分かるだろう。
国の予算については、よく分かっていないが引きこもりの対処現場では実はお金
も相当要る。
援助者を育てる活動や、彼らに相応しい報酬を差し出さねば、引きこもりは増える
ことはあっても減ることのない社会になるだろう。

もう少し国会議員とかにもこの現実を知って欲しいものだ。
ポスターなんか刷っても、役に立たないよ。お金を生きた金として使って欲しい。