他人がいるから自分を感じられる

昨日NHKの「私の思考探究」という番組を見た。
大阪大学の鷲田清一先生が「他者が自分から影響を受けて反応するのを見て、
自分を感じられる」という主旨の事をおっしゃっていた。
なるほど~。

日々の生活の中で他者を意識して感じることはない。かといって他者がまったく

いない生活ならば、自分とか他人とかそういった概念すら不要になり、結果自分を
失ってしまい、精神的に不安定になる。

つまり他者と出会うことは精神衛生上大切なことなのである。

しかし仮に他者がいたとしても、そいつがまるで相手(自分)がいないように振舞った
としたら、それは相手(自分)の存在を無視したことになり、自分は不安定になる。

だから人間同士は、互いを他者として認めていかなければならない。
別々の考えを持った人として尊重されなければならない。

誇張したドラマで、過保護の母親が「尚くん(子)は、お母さんの言うことはよく聞くの
よね。」とか「尚くんのことは、ぜーんぶ分かっているから、言わなくて大丈夫」という
台詞がある。これは、親が生身の人間(子)と相対していても、まるで子の存在を
認めていないかのような振る舞いだ。
一見子供思いな母親に見えるが、実は自分(親)の価値観に相手(子)を取り込もうと
巧妙に罠を張っている鬼母なのだ。
子は断固としてこの親を排除しないと、自分が消えてしまう。
まあ、大概消える前に反逆に出て、「突然家庭内暴力が始まった」というお話に
なるんだが・・・。

人は認められない状態が続くことに耐え切れない。だけどぎりぎりまで耐えようとする。
だから耐え切れなくなったときの反動が大きい。耐え切れなくなってから反抗するより
もっと前から気に入らなければ、反抗しちゃえ。
親に反抗することは悪いことじゃない。自分の意見を持つことは当然。
もっと自信を持とう、意見に良い悪いはない。

引きこもり、家庭内暴力、子供の虐待、無差別殺人 と数々の問題がおきている
この日本を見て、今こそ一人一人が違う人間であることに気づき、違う価値感を
尊重すべき時期にきているのだと、日本人が実感しなくては明るい未来はないと思う。