迷惑(新明解国語辞典第三版)
その人のした事が元になって、相手や周りの人がとばっちりを受けたり
いやな思いをしたりすること
「人に迷惑をかけてはいけません」とほとんどの人が親から教えられただろう。
しかし、迷惑ってなんなのだろうか?
人によって快・不快の領域や閾値が異なる。
例えばロックな音楽が好きな人は、大音量で音楽を聴くことが快なのに対し
静かにしているのが好きな人は、大音量で音楽を聴くなど不快きわまりない。
いやな思いをすることが迷惑ならば、それは都度相手に不快かどうか確かめなければ
迷惑か迷惑じゃないか分からないではないか。
ところが、親の躾方を見ていると、子供に理由を告げずに「迷惑をかけではいけない」
とだけ言っている。
言われた子供は、なにがなんだか分からないけどこれは迷惑な行動なんだなと
認識する。
このような育て方は、その子が持つ豊かな感性や、想像力を育てることになる
だろうか?
私は、迷惑をかけてはいけないのではなくて、相手を人として尊重しないことが
いけないことだと思う。
人間は個々に別々の快・不快ゾーンを持つ。
だから、周りの人のゾーンに注意を払いながら、自分のゾーンとの折り合いを
つけていきましょうと教えればいい。
簡単に言えば、子供に「周りの人は、あなたのしている行動をどう感じる?」と訊ね
「それじゃあ、あなたはどう行動したらいいのかな?」と考えさせる。
これが躾だと思う。
画一的にあれしちゃダメ・これしちゃダメと教えていては、前提条件が変わった
ときにどうしてよいのか考えることができず、マスメディアのいう言葉を鵜呑みに
して、周囲に流され自分を見失う子供を作ってしまう。
あんなにちゃんと育ててきたのにどうして崩れちゃうの?と嘆く親に限って、子供
が考える機会を奪っている。
人間は生きている。時代は流れている。価値観は変化する。
だから考えることが、いつ何時も必要な術になる。
親は「迷惑」という一見モットモらしい単語を使って、問題を片付けてしまおうとせず、
立ち止まって(この子に今なにを考えさせたら良いのか)と配慮して
やって欲しい。子が力強く時代を生き抜いていって欲しいなら、なおさらだ。
このちょっとした立ち止まりが、子に柔軟な将来をもたらしてくれるのだから。