「~ですよね?」という語尾に見る真意

私が気持ち悪いと感じる語尾

~ですよね?
~だと思いませんか?

発言小町を読み、この語尾が登場する度ムカっとする。

私の中の解釈はこうだ

発言者は~だと思っている。そして聴き手も~だと思うのが当然 と発言者が思って
いる。
発言者は自分の意見と他者の意見を代表して言語化している と勘違いしている。

発言者は聴き手の意見が発言者と同じ意見かどうか、訊ねてみないとわからない
のに。
なんとも傲慢な態度だ。

私はこの語尾に出会う度に相手に絡め取られるような窮屈さを感じ、相手を
疎ましく感じる。

他者と自分を区別している人は、けしてこのような語尾は使わない。
~と思います。貴方はどう感じますか?
というだろう。

区別している人の問いかけは、私の意見と貴方の意見は全くの別物だという
前提に立っている。
訊ねられた方はなんのしがらみもなく、「私は~と思います」と別の意見を述べる
ことができる。

「~ですよね?」という語尾を使う人は、自分と同じ意見を持つ相手には極端に
親切でフレンドリーに接し”仲間よ[E:note]”オーラを出しまくる。
しかし少しでも自分と異なる意見を持った瞬間に、これでもかというほど攻撃したり
従うまで脅迫的に「~じゃなくて~よね?よね?」と迫る。

これは適切な人間関係だろうか?

人付き合いは、自分で見極めよう。
親切な人がいい人ではない。
たとえ親切でなくても、自分と他者を区別している人の方だけが、自分を他者扱い
してくれる。
区別している人はつんけんどんに見えるかも知れないけど、それが本来の在り方。
ベタベタと乳幼児-母の癒着をしているのが、心地よいと感じる人は一度自分を
見直した方が良い。
少なくとも大人というのは、一人一人自立した存在であって、このような言葉遣いに
よって、他者を脅かすことも脅かされることもしてはならない存在なのだから。

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