子供の躾をしようとする親ほどコンプレックスの塊

NHK教育の「わたしの思考探究」の中で、光浦さんが親に「猫背を治しなさい」
とか「股を開くんじゃない」と厳しく躾けられたと言っていた。

私の親も、姿勢から言葉遣いまでとにかくうるさい人だった。

じゃあ、親は大和撫子並みにきっちりしているのかというとそうでもない。
あごは突き出ているし、歩く姿勢が特段綺麗なわけでもない。
それを親は分かっているからこそ、子供に「私のコンプレックスを彷彿とさせる行為は
するんじゃねえ!」と言わんがばかりに、あーするな・こーするな とガミガミ言う。

本当は親の内部にあるコンプレックスの問題であって、子供は関係ないでしょう。
親が美しくあり、それが美しいと感じる心を子供が持てば、自然にまねっこする
でしょう。

自分がキレイと信じている人は、キレイじゃない立ち振る舞いをする人をみても
それは、その人の自由 とはっきり分離できる。
親子であったとしても、他者なのだから、どう行動しようとも、ある範疇において
個人の自由だ。

たった一言親が苛立ちを払拭するためにいったあれダメという言葉は、子供の
心に深く刻まれ「私ってダメ人間なんだ」という自己否定の種を植える。
何度も何度も親からダメだしをくらっている内に、種は発芽して立派に成長しちゃう
よ。

種を植えたのも親なら、発芽させて成長させたのもの親。
なのに、悪い植物の持ち主は子供。
なんだか不公平だな。

けど、こればっかりは仕方ないね。
自分の心と向き合いながら、そのいらない毒草を除草しよう。
もともとそんな邪悪な種を持たずに、我々はこの世に生を受けたのだから。