尋ねられたことを素直に答えて、後悔したことはないだろうか?

久しぶりのブログ更新です。2週間続いた頭痛からやっと解放されました😂。たかが頭痛、されど頭痛。これまで頭痛もちの人をお気の毒に~くらいで軽く見てましたが、もっと親身になって接したいと思います。

さて、アナタの周りには探りを入れたり、根掘り葉掘り個人情報を聞きだそうとする人はいるでしょうか?私にはいます。それは、親!

側にいると、「家賃はいくらくらいか」から始まって、「夫婦仲はどうか?」「高校時代の○○ちゃんとはまだ交流があるのか」など、イヤというくらいの詮索をされます。
毎回、胃の中に、どす黒い何かが入り込んでくるような気がして、イーヤー!!と叫びたくなります。

…でも、一部を除いて、素直に答えてしまう私。あとでめちゃくちゃ後悔します。

そんなことを繰り返すうちに、ふと思ったのです。なぜ、私は聞かれたことに答えてしまうんだろうと。

選択権が自分にない

ナイフを突き立てられて脅されたのならともかく、ただ聞かれただけなのですから、答えるも答えないも私の自由です。なのに、勝手に答えなくてはならないに自動変換されてる。

これって、一種の洗脳でしょう?

人に聞かれたら答えなくてはならない。それが礼儀である。そうすり込まれてるから、答えない、という選択肢がないんです。

でも誰にだって踏み込まれたくない空間があります。その空間を守れてないって、どれだけ自分を粗末に扱ってるんでしょう。

子供を尊重しない親がかけた呪い

本来、人は皆、一人一人好きなように考え、感じてよいはずです。

ところが、親が子のすべてを支配して当然、という環境に育つと、人前で自分を守ることができません。「人>>>自分」であって、イヤだろうがなんだろうか人に従わなくてはいけない、と思い込んでしまっている。

だからこそ、イヤなことを聞かれても反撃すら、まともにできない。そもそも、そんな失礼なことを聞いた相手が悪い、と思えないからです。出来るのはせいぜい黙り込むくらい。これじゃあ聞いた相手はいたくもかゆくもありません。

反撃すべきときに反撃しておかないと、相手につけ入る隙を与えてしまいます。もっと踏み込んだことを聞かれたり、あることないこと吹聴されたり。

その結果、ずっとずっとコミュニティー社会の底辺を這いつくばるしかなくなるのです。

ヘンなことを聞いてくる人こそ実はコンプレックスを抱いている

学歴を聞いてくる人は、学歴がコンプレックスか、学歴しか自慢できるものがないか、の二択です。本来、学歴なんて社会に出たら、役に立つものでもなんでもない、実力こそがすべてです。

それなのに、学歴という事項にこだわる、ということは、よほど相手の意識の中に「学歴」の占める割合が高い、ということ。人に会えば「あの人の学歴は私より上かしら、下かしら」と気になってしょうがない。

同じように、経済的なこと、家族の仲、人付き合い、を聞いてくる人は、それがコンプレックスだから、他人がどうなってるか確かめたくて仕方ない。で、思わず聞いちゃうんですね。

でも、そんなのこっちの知ったこっちゃないです。どんな相手がコンプレックスを抱こうと、それは相手の問題であって、私の問題じゃないからです。

「質問は、その人のコンプレックスそのもの」と頭のどこかで覚えておきましょう。そうすれば、聞かれた瞬間心の中でオッ!キタネーとほくそ笑んで「ふーん、そんなに○○が気になるんだ。なんで?」と返せます。

そして相手の話してる隙に、反撃の種を仕込みましょう。たとえば、「詮索が趣味なの?」と。

負けてはいけませんよ。自分の空間を死守してあげてください。
答える答えないの選択権は、どんなことがあっても手放さないでくださいね。