人間関係の中に自分を確認できるなにかを求めない

人間関係に自分を確認するなにかを求めてしまうと、人間関係にばかり
気持ちが集中してしまい、自分の気持ちが関係の中に絡め取られる。

例えば、お母さんが「この大福おいしいでしょ?」と私に問いかけた時に
私は全然おいしくないと思っていても、お母さんに好感を持たれる自分で
いたいから、「うん、おいしいね」と答える。
そして自分の言葉と感覚が乖離して、気持ち悪いと感じる。

人間関係を大切にするとは、かくも自分の中の真実をねじまげるものなのだ。


日本人は表でいいことをいって、裏で悪口を言う と言われる。(外人には
建前と本音ってなんじゃい?ってな感じだろう。)
これは村社会を形成している日本ならではの現象だ。

振り返ってみると、私も欲しくもない物を欲しいといってみたり、全然感動しない
作品を見て「よかったね」と感想を言ったり、よくもまあ嘘八百を並べたもんだと
思う。いつもびくびくして、周りに合わせないと生きていけないと勘違いしている
典型的なアダルトチルドレンだったのだ。

そして、精神科医から言われたこと
「そこで一端関係から自分を断ち切って、人間関係を諦める。絶望する。
そうしてから、また新たに関係を作れば、必要な人が集まってくる。」

これはまだ経験がないから、実感はないけど、なんとなく分かる気がする。
他者に合わせることや合わせさせることしかできない人間は、軸をしっかり
持っている人に近寄れない。
だって軸持ち人間は強いもの。近寄ると自分の弱さが露呈してしまって、さらには
弱さを認めざる得ないから心地悪いもん。

ちゃんと人間関係を断ち切って、孤独になれたらいいな。

孤独を受け止める強さを私は持ち合わせているだろうか?
ちょっと何かを感じたら、誰かと共有したくなる自分から、自分の中だけで消化
できるようになるだろうか?
けど、いつも「人~人~」と他者ばかり求めていては、そして自分への承認ばかり
を求めていては、自分が消え入りそう。

ここはいっちょ!覚悟を持って孤独を背負う路を選択したいです。