もてなしの心 へつらいの心

せっかく~してあげたのに・・・というフレーズ よく耳にする。
「あげたという」言葉を使うということは、見返りを期待しているのでしょうか?

と相手に尋ねると、「そうじゃないけど、なにも返さないのは失礼じゃない?」

←はい、なんか期待してるじゃん!

関係性を悪くしたくないから相手の要望にYesと答えたり、我慢したりする。
それってなんのため?
相手の面の皮一枚はがしたら、「私はアナタのこと嫌いだったの」と言われるよ。
あっちをみてキョロキョロ、こっちをみてキョロキョロ している人を好きな人はいない。
一緒にいて落ち着かないし、何を考えているかも分からない。
そして表と裏を使い分けていそう。
だから結局相手に心の中で嫌われる。

だったらいっそ、要望に答えたくなければNOといえばいいじゃん。

まともな友達がいない、人間関係が浅い と嘆く人は(私も含め)、関係性にふりまわ
されすぎ。嫌われることを極端に避けすぎ。
他者の好みなんて、分かるわけないじゃん。
それでも相手をもてなしたいと思うからこそ、労を惜しまずなにかを差し出すんでしょう。
もてなしたいという気持ちがないのに、労力を提供するってことはすなわち
へつらっているってこと。己の心に背いて、相手を立てすぎってこと。

人間って敏感にできていて、心から差し出したいのか、無理矢理差し出している
のかかぎ分けられる。
無理矢理の場合、受け取る方もぎこちなさを感じるので素直な感情が出てこない。
御礼の言葉も儀礼的になる。

自分の心を信じよう。自分のやりたいこと、もてなしたい人に気を配ればいい。
八方美人なんて不可能だし、むしろ嫌われることを勲章にするくらい堂々として
いた方が、周りから見て晴れやかだよ。