発言小町を見ていて思った。
世の中には他人の問題に口を出す人が多いと。
知識がないとお困りの方に、情報を提供するのは分かる。
ただ恋愛・結婚問題や嫁姑問題は、見知らぬ他者が口を出すところなのだろうか?
なぜそんなに口を出すのか。
むしろ、なぜ黙っていられないのか。
突き詰めて考えると、それは己の弱さだと思う。
たとえ今自分が相談者より安定した立場にあったとしても内心は疑心だらけで不安定。
そこへねぎをしょったカモさんがやってくる。
カモさんに「おバカさんね~、ネギなんてしょってたら食べられちゃうよ」とアドバイスすることで、”自分はアドバイスできる立場なんだ。ここまで落ちてはいないんだ”と確認でき、つかの間の安堵感に浸れる。
それが口を出す人のメリットだ。
読売新聞はこのスパイラルを上手く使っていると思う。
さて、発言小町に口を出し続けた人々はその後どうなったか。
想像に難くない。今日も同じように口を出し続けている。
「私」を知るために、「私」の足場を確かめるために。
同族のタイプに、プライベートな質問をしてくる人がいる。
相手の家族構成や住居、年収、会社を聞き出すことで、相手が自分より上か下かを常に知ろうとする。
本人は好奇心のつもりかもしれないが、実際は自分基準で生きられないから、せっせと他人情報を集めて自分を計ろうとしている。
聞かれた方はその人を、品のない人間だと見下していることも知らずに。
他にも結婚相手のステータスにこだわる人、正社員じゃなきゃいけないと決めてかかる人、他人の目を気にしすぎる人、挙げたらキリのないぐらい多くの人が他者との関わりを通して自分を知ろうとあがいている。
・・・でも、それによって刹那的に得たみせかけの地位は絶対に揺るがない?
明日のことなんて誰も保証できない。
自分の安定していると思っていた地位が奪い取られたら、その人は自分は最低だと罵るのだろうか。
諸行無常の世にあって、他人という移り気の存在に全てをゆだねながら生きることは、薄氷の上を歩くことに等しい。
それよりも自分の中に基準を求め、その基準を達したか否かで己を計る方がずっと確たる地位を得やすい。
とどのつまり、まずは己だけに集中する機会を持つこと。
即ち孤独とガチで向き合うことだ。
孤独とは大変に自立した状態で、たった一人でいられるわけだから、強いのである。
誰しも他人の孤独を奪い去ることだけは出来ない。
身分の差、環境によらず、誰にでも平等に手に入れられるところが、またイイ。
他人ばかり気にして見えていなかった本当の自分に出会える。
誰も相手にしてくれないから孤独に落ちるのではなく、自ら望んで孤独を味わう。
この気概が大切だ。
孤独に関する書籍を手にするのもいい。
孤独は悪い、孤独は惨めだ。そんなくだらないことを思っている人は一生薄氷でも踏んでいればいい。
なんなら全員でドボンと冬の海にでも落ちればいい。
己の人生を生きるために孤独に向き合う。なんだかイイじゃないか!