「へつらう」を乗り越える

ちょっとずつですが、人の気持ちにへつらうのではなく、人の気持ちを汲むことに近づいてきました。

以前の私は地球上のどこかに自分を必要としてくれて、自分を守ってくれる人がいると信じていました。

そして、それが親や配偶者、親友のような濃い関係の人だと思っていました。
でも何年も考え続けた結果、私を必要としてくれる人も守ってくれる人もいないということに気がつきました。
自分が想定していたよりも、私は孤独だったのです。
一人で暗闇で、ぽっかりと浮いている恒星(ほし)みたいな存在でした。

これは私に限らずこの世に生きる全ての人間がそうです。

元々孤独の状態なのですから、それより孤独にはなりようがない。
そう思うと、自分を殺してまでへつらうバカバカさに呆れ始めたのです。

へつらっていたのは、本当は孤独なのに孤独じゃない自分を幻想したくて、「自分の周りの衛星になってくれないかい」と必死で他の恒星をスカウトしていたからです。
しかし全ての人間は衛星ではなく恒星なので、そうはならない。

たまに宗教とかで教祖様の周りに信者が群がっている状態がありますが、それは恒星という本来の形を逸脱した異常状態です。
異常状態をキープするには、異常エネルギーを入れる必要があり、そのエネルギーは大方違法の元で生み出されるのです。(壺の売りつけとか高額お布施とか軟禁とかね)

本当の姿から目をそらして、「私たちは仲間。どんなときも結束を緩めない。」を是とし、突き進むならば、どこかで行き止まりにあいます。
なぜならどんな人間も身体という「個」を有し、その「個」を融合することは不可能だからです。
ガンの人の痛みをいくら友人だから親だからといって同じように感じるのは不可能でしょう?

アダルトチルドレンとして「へつらうこと」から距離を置くと言うことは即ち、自分に対する覚悟だと思うのです。
自分が孤独で暗闇に浮かぶ恒星であると認めることなのです。
それができるまでは、一生絡まった蔦から抜けることは出来ないでしょう。

特に親に分かって欲しい、認めて欲しいという気持ちはなかなか解脱が難しいです。
諦めようと努めてもまた、認めて欲しい気持ちが襲ってくる。
それはそれでいいです。襲ってくるものはどうしようもありませんから。
ただ、人間とは?自分とは?と考えることも忘れないように。

人間とはどういう存在なのかに気付くと、しがらみから抜けた本当の自分に会えるのだと思います。