存在感の考察1

存在感って、改めて考えると何なのだろう?って思います。
存在感はある人にはある、ない人にはまったくない。
クラスメートを思い出してみても、存在感のあった人と、名前と顔さえ一致しない人
がいます。

存在感のある人は、他者の心に残る人です。

あのとき、あんなことを言っていたな、あんな表情をしていたな。
存在感を感じたとき、人は存在感を持つ人から感情を揺さぶられています。

人の記憶は、感情とセットになると、しっかりと保存されます。
受験勉強でも、自分が面白いなと思った項目はバッチリ覚えているけど、
なんにも感じなかった項目は、「そんなのあったっけ?」となります。

美人が記憶に残るのも、美人という美術品を見て、綺麗だなと心が動いた。
だから記憶に残っている==存在感(オーラ)があるということなるんです。

ある人の存在感が全く感じられなかったということは、その人間に感情を揺さぶられ
なかったということです。
人がいる・いないの判断は、物理的にここに居るということではなく、心理的にここに
居ると感じられることによります。
大事マンブラザーズの歌に
「ここにあなたがいないのが寂しいのじゃなくて~、ここにあなたがいないと思うこと
が寂しい~」という歌詞がありますね。
まさにこのことを指しているのです。

目立つことは、感情とはなんの関係もありません。
街宣車や選挙カーは、耳障りという意味では大変に目立っています。
ですが、存在感はありません。

掲示板に「存在感がないと言われます。どうしたら存在感が増すのでしょうか?」
という質問が載っているのを目にします。ならば存在感が発生するメカニズムを
自分なりに研究すればよい。
相手にとって自分はどんな存在でいたいのか考えて、行動をする。

好意的に見られたい、頼りにされたいというのであれば、相手が困っていること
助けて欲しいタイミングを見抜ける自分になる。
個性的と思われたい(個人的には理解しがたい感情ですが)、尊敬されたいという
のであれば、相手が個性的と感じるポイントはどこなのか?一般的に尊敬される
エピソードとはどういった類のモノなのかを知っている自分になる。

が、他者の気持ちを知ることのできる自分になる前に、実はやることがある。

それは自分を知ること・認めることです。
なぜ先に自分のことを研究しろというのか?
それは、他者基準で動くと、どうしても周りの目が気になって、神経症的になって
しまうからです。

相手から嫌われるんじゃないかとびくびくしながら、「困っていない?相談に
乗るよ」と言っても、言われた側は「あんた以外に相談するよ」ってなります。
嫌われることにビビっている自己擁護型人間は、所詮自分がカワイイだけですから
他者の相談になど乗れないのです。相手もそれがすぐに分かるからお断りします。

だから先ず自分を知り、自分を愛し、自分をつくりあげる。
そういう強い自分になってから、他者の相談に乗る。
そこで初めて、他者に存在感を認められるんです。

相談にのることを甘く見てはいけません。
ただ適当にあいづちを打つことも、「わかるー」を連発することも、相談にのること
ではない。ましてや「そんなのたいしたことないよ」や「私なんてこんなに苦労している
のよ」なんて論外。
誰のために相談に乗っているのか、自分の心の中で厳しく問わねばなりません。

世の中では気軽に相談に乗りましょうとか、存在感をあげるために××しましょう
と言っていますが、鵜呑みにしてはなりません。
実は存在感を出すことは、とっても難しいことです。

焦らずじっくり、まずは自分の内面から確かめていきましょう。

関連記事
いい人、存在感のない人 に言及した文章の紹介