幸せになってくださいと言われたこと

私が三十路に突入するころ、Sさんに結婚するのかしないのか考えて欲しいと
いったら「幸せになってください」といわれた。
それを思い出して、なるほどねーとひざを打った。

Sさんにとって、自分以外はすべてつながりのない他者であり、その他者がどう

生きるかは他者の自由なのだ。
他者のことを考えて行動するなんて、到底思いつかない。(他者に要求されて
行動するはあるんだけど)
だから私は婚姻届を出してから一度も結婚した実感が持てなかった。
守られてる感覚とか頼れる感じを味わう機会ゼロだったから。

人は持っている思想で、言葉が選択される。
他者と自分を分離しすぎる人は、他人行儀な物言い。
自分が他者よりも優れていると思っている人は、偉そうな物言い。
自分が他者より劣っていると思う人は、びくびくした物言い。

年を重ねて出来上がった思想は、そんじょそこらの衝撃では崩せない。
よって、大方の人間がその思想の延長に未来を構築する。
だとしたら、Sさんの他者を分離する思想は死ぬまで変わることはなく、いつかは
変わるはずと期待を寄せていた私の思いは、果たせそうにない。

私は自分を甘ちゃんだと思う。
心のどこかでSさんに頼っている。
今誰かの下で働く心境ではないからとか、てんかん性障害があるからとか理由を
つけて、Sさんが助けてくれるはず、このゆるい生活が保持できるはずと思っている。
一方、言葉が通じない・心が繋がらないと嘆いている。
なんたるご都合主義か。

もっと自分をしっかり持って、自分で生きていく覚悟を決めれば、配偶者に振りまわ
されず、餓鬼からも脱却できると思うのです。