解離性てんかんの治療について考える

ここ最近、自身の解離性転換性障害について考えている。

解離とは、身体と心(意識)がばらばらになっている状態。
転換とは、AがBに変わること。
解離性転換とはある状況下で身体と心の統制が崩れてばらばらになってしまい、身体が正常から異常に切り替わることを言う。

それは誰にでも起こりうることで、たとえばショックなことを言われると気を失って倒れるだとか、あまりの悲惨さにめまいがするとか。
人間には精神的な苦痛から自らを切り離し、自己を守るための防衛本能が備わっている。それが発動した結果、そのようなことが起こる。

問題は、発動しすぎて日常生活に支障を来すほどになっているということ。その場合に限り「障害」と名がつく。

私の場合、それが一月に一度ほど現れる。
それ以外に弱い症状として貧血のような血の気が引く感覚を月に何度か味わう。
どちらも安静にしていれば、1時間ほどで消失するが、障害が発生したときは後遺症が3日ほど続く。

さて、この症状がいつから現れたか?について思いを巡らせてみると、3-4歳のころかな?と思う。
そのころ毎日2時間のピアノが義務づけられていたが、いやでいやで仕方なかった。あるときあまりにやりたくないのでだだをこねたら、無理にいすに座らされて弾かされた。それでも反抗していると、大声で怒鳴られて殴られた。
親の狂気さにおもわず身体が反応した。「頭が痛い」と言って寝込んでしまったのだ。

でも実際そこまで頭は痛くなかったし、寝込むのは少々オーバーかなと思った。しかしながら親が「大丈夫かしら、救急車を呼んだ方がいいかしら」と慌てふためくので放っておいた。その方がピアノをやらずに済むからだ。
こうやって防衛することを覚えた私は、数年に一度この技を使うようになる。

ただしここでは意識して装っているので、身体のコントロールは出来ていたと思う。

これが社会人になって、かなりのストレスに晒されるようになったとき、幼少から築いてきた防衛本能が一気に開花?した。
完全に身体のコントロールが効かなくなり、一気に脱力を呈するようになったのだ。

しかしこれでさえもきっと「気を失えば、周りが気にかけてくれてストレス源から自分を遠ざけられる」という魂胆が隠れているのだろう。
偽発作と言われるだけあって、本当の発作(てんかん)に比べると、実に自分で選んで発作を起こしている。

このとき私が思っていることは、
「自分はこのストレスに対抗できそうな気がしない」である。

自分で切り抜けられるだろうという見通しが弱く、とにかく逃げる方へ意識が働く。すると「ごちゃごちゃいわずに倒れちゃえばOK」といった考えにとりつかれる。
かくして突如力が抜けていき、倒れる、という症状へと向かう。

これを薬でどうにかできるか?と言えば、否だ。
実際数々の精神薬を試してきたが、副作用ばかりで一つも効果がなかった。
ネットで調べてみると、この障害は薬がほとんど効かず、かといって有効な治療法もなく、医師も手をこまねいているらしい。

唯一「認知行動療法」が効きそうとの記述を見つけた。
私にはそれが自分に合うのかは分からないが、少なくとも「自分で切り抜けられるだろう」と見通しを身につけるという点では、服薬より効果がありそうだ。

だが、元来ひねくれ者の私は敢えて自分で方法を編み出したいと思う。
人に治療をしてもらって治すのは、受動的な方法。自ら編み出すことで治すなら、主体的な方法。もし後者で成功したならば、それこそが「自分で切り抜けられるだろう」を裏付ける証拠となるから。

とっかかりとして、この文章を頭に入れてみたい。

鶴瓶のスケベな人生に大きな影響を与えた家族とのエピソードが、もう一つある。
それは小学6年の時。
一番下の姉が、友達を家に連れてきて遊んでいた。
人懐っこい鶴瓶はその輪の中に入っていき、自分のお菓子を配ったという。
「やさしいねぇ」と友達が口々に言いながら、それを受け取った。
鶴瓶がその場から離れると、姉の声が聞こえてきた。
「あの子なぁ、神さんみたいな子やで。ものすごくやさしいねん」
嬉しかった。目の前で言われたのなら、お世辞の類いやと思っていただろう。けれど、陰で囁かれたことで本当にそう思ってくれてるのだと感じた。
「思えば、そのひと言に引っぱられて生きてきたのかもしれへんね」
そう鶴瓶は振り返る。

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