一生懸命はいいことなのか?

一生懸命という意味理解しているだろうか?
全身を傾けて、何かに取り組む様といったところだろう。
そこで全身を傾けるって、どういう意味か考えたとき、

1.全身を傾けて仕事や勉学、スポーツなどに取り組むポーズ

2.熱中しすぎて、全身傾けちゃった状態

の二通りがあるんでないかい?と思ったのです。

昨今真面目な人、仕事一途な人がうつ病になるとか早期に認知症になるとか
言われているが、こういった人は1のパターンではないだろうか。

1の目的は、何かに向き合う状態を保持することで、嫌なことから目をそらすだったり
頑張っている自分をアピールして相手に認めてもらうだったりする。
ちなみに2はあえて目的と言えば「好きだから」くらいか・・・。

1は自ら起こしたいと願った行動ではないため、副作用が生じる。
どこかにムリ(副作用)を潜め、得られる(かもしれない)結果にだけ、目を向けている。
そのムリを解き放つ場所がなければ、長きにわたり鬱積し、ドッカーンである。

つまりをもって、外面だけで一生懸命っていいんじゃないかといってしまうと
間違った一生懸命を繰り返す過ちをおかしてしまう。

私個人に焦点を絞ると
何かにとりつかれたように、勉学も仕事もしていた。
ただしとりつかれていたものは、低い自己評価を挽回しなくてはという焦りだ。
たとえ予定通り目標を達成したところで、得られるのはその事実のみ。
心の中では、得られた事実に満足する自分はなく、いやもっとがんばれたのでは
ないだろうかとか、さらにこういう資格を手に入れないとだめなんじゃないか など
延々達成感の喜びに包まれない日々。

そして20代の終わり頃ドッカーンだ。
身体さんが、これ以上ついて行けませんゼイっとスト状態に入った。

私一生懸命だったのに、何が悪かった?って感じ。

だからね、物事は一つ方向から見ていいと思いこんだらダメなの。
一生懸命はいいことじゃないかと思っていたら、間違った一生懸命をひた走って
しまう。
時には、一生懸命ってマジでいいこと?と疑念を持つことで、欠落した部分だとか
思想の正しさに気がつける。

これが考えることです。
周りから与えられる情報や思想を鵜呑みししていては、いづれ先止まりしてしまう。
自分で考えていたら、進み具合はトロくなるけど、どこまでも無限に世界を開いて
いける。
考えるって、発見、喜び、自信など様々な恩恵をもたらしてくれる。
そして、自分の言葉で語ることができるようになる。

皆さんはいつまで、周りの与えた思想を鵜呑みに生きていきますか?