借り物の限度

私は帽子が大好きで、たくさん持っている。
1年前にCA4LAで購入したつばのおっきい麦わら帽子をたいそう気に入っている。

 ちょうど数週間前花火大会に行った。

花火が始まる3時間前から、会場でスタンバイ。
暇だったので、周りの人々を観察していた。

と、50mほど前方に見たことのある帽子が・・・・。って私の持っている麦わら帽子
じゃーん。
それに気がついた瞬間、なんとなく麦わら帽子の価値が私の中で下がった。

私は庶民なのでオートクチュールを身にまとうことはない。
ということは、ある程度量産化された製品を手にすることになる。
つまり世界中のどこかに同じ物を持っている人が数十人はいることになる。

その事実が借り物(他人の考えた物)を身にまとうことの限界だと思う。

私という顔をもった人間、私の紡ぐ文章、私の言葉は、世界でたった一つであり
それを作ったのは間違いなくこの私だ。
ところが他人が作った物は、他人がどのように伝搬させようとも自由なので、
購入者がOnlyOneを望んだ所で、そうはならない。

ファッションに興味を持って十数年、イケてるデザインを身にまとい、自分はまるで
選ばれた人みたいに思っていたけど、やってたことは単なる猿まね?

いつも思うことだが、買う側は作る側に勝てない。
作ると言うことは、それだけ尊く、独創性のある世界なのだ。

夏目漱石の提唱する自己本位を考える自分としては、ともすると他者基準に
なりがちなファッションという世界において、なにならば独創性を持って対峙しえる
のか、深く考えているところである。

私も何かちゃんとした物を創る人間になりたいな。