心に従える自分であること

なんか違うんじゃないか!
迷惑なんだけど!

こう思っても人は素直に口に出せない。

例えば痴漢にあっても、「今、誰かが痴漢した!」と叫ぶよりも、勘違いじゃないか

と一度疑ってみて、そのうち相手が反撃に出たらどうしようとか要らぬ不安を膨らませ
じっと耐えるということをしてしまう。

私も痴漢にあったとき、声を出せなかったし、迷惑を被ったときも、1週間くらいしてから
迷惑なんですけどと言ったりで、なかなかその瞬間に怒りを出すことが出来なかった。

怒りを出すってことは、和を崩すことで、良くないと思いがちだが、果たしてそうだ
ろうか?
その場で怒りを出せば、その場で処理され、未来同じ間違いが起きない。
ところが誰かがぐっと我慢すれば、相手が図に乗ってきたり、同じ過ちが繰り返さ
れる。

もちろんその怒りや不快さが相手を傷つけるようではいけない。
相手にも相手の尊厳がある。
しかしその尊厳は相手が一定の責務を背負ったときになりたつ尊厳であって
痴漢行為のように責務を放棄した状態では、守られるべきでない。

相手の尊厳が守られるべきときとそうでないときをごっちゃにしているから、必要
以上に自分の尊厳をおなざりにしてしまう。

まず、守るべきは自分の尊厳である。
なぜなら己の尊厳を守ってくれるのは、自分だけだから。
当然和と呼ばれるものを時に崩すこともあろう。
しかし幻想の和の正体はいったい何なのだろう。

イチローや中田英寿がマスコミにたたかれることがある。
だが、私は彼らはまず自分の尊厳を守ること、次に自分を応援してくれる人の
尊厳を守ることをした結果、和を崩しただけなのだ。
だいたいみんなが思っている和は絶対的神なんかじゃない。
それをよってたかって発言力の高い側がいじめるのは如何なものか。

泉谷閑示先生が、戦争が無くなるためには全員がマイノリティーになることだと
言っている。
全員がマイノリティーとは、全員が自分の意見を持ちなさいという意味だ。
意見を持った上での和は正しい。
けど、力の強い者の意向や、過去の流れに沿って作られた和は正しくない。

嫌なことはイヤ。
単純にこの感性に正直に従い、適切に発言できる人間を多く作ることも
また日本人が成熟するために必要な一つのファクターだと強く思う。