性的問題に潜む自己像の低さ

彼との性行為に不満があるけど言えない/ちゃんとつきあわず身体だけの関係を持つ
/毎日違う人と寝てしまう

など一見すると性の問題に見えても、実は自分を愛する能力の低さと深く関連している
出来事があります。

 自分を大切に思うなら、自分が不快だと思うことはしないのです。

だから積極的に性生活を謳歌しているなら、このような不満が出てくるはずない。
けど、どこかで一寸違うなあと思うから、不満として表出してくる。

彼女たちの一番の間違いは、捨てられること・必要とされない孤独と向き合うことの
怖さを乗り越えられていないことではないでしょうか。

確かに年頃の女性は男性からしたら、人格はともかく身体は魅力的に映ります。
だから女性は、男性に必要とされる現実を持って、孤独と向き合わずに済む。
ところが、そう思うのは一瞬で、後で本当に相手は自分を必要としてくれたのだろう
かと疑問に思って悩む。
その悩みが鬱積して、口から出てきている。
心が本当に満たされたなら、疑問なんて生まれないんです。
頭で「相手から求められている」と思って、心で「やっぱり道具としてみられている」
と思っているから、最初満たされていても、後に疑問が噴出している。

第三者的に見ると、性的問題に悩む女性は、虐待された児童と同じ心理を持つ
ように見えます。

ご飯を食べるのも、勉強をするのも、映画を見るのも、誰かと融合してするものでは
ありません。
一人一人が個として、独立してやることです。
かろうじて、その行為を並列して誰かと一緒に行えるくらい。
自分が感じた満足は、他者か感じた満足とは別物です。
つまりいつでも孤独なのが当たり前。

その当たり前から目をそらそうとするから、歪みが生じる。
一旦孤独を受け入れて、その孤独の先にどういった繋がりが持てるのかをみたら
世界が違った景色に見えます。

性的問題を発端とする自己像の低下は、日本中のあちこちに見られる。
それくらい幼少の頃に親が褒め、子を尊重してこなかった証な気がします。
赤ちゃんはお母さんと一体化することによって、守られているという安心感を
内在化します。
その内在化がある程度進んで、人は独立できる力を蓄える。
けど、まだスタートラインに立っていない人がたくさん。
だから彼らは自他融合を試みる。
それが他者に必要とされる自分の演出です。

これだけ心理的な研究がされても、安心感の内在化の方法論が見つからない or
広まらない ということは、母子の愛は深く、尊いといことです。
簡単に手に入らない分、不足している人間からすると、えらく離れた存在ですね。

私も安心感が内在化できず、苦しんでいる一人。
ただ、孤独については受け入れています。
自立するとは、孤独を受け入れ、自分と同じ考えの人間はいないという事実に目を
向けること。
つまり、自分を愛してくれる他者はいない・自分を必要としてくれる他者はいない
といった圧倒的孤独を受け入れること。

身体を犠牲にして、相手に依存しようとしている人がいたら、その人にこの厳しい
事実を知って欲しいと思います。
今厳しくても、それは未来のアナタに確実に光りの筋を見せてくれます。
一度自分の心と対話してみてくださいな。