「普通」を押しつけてしまう自分

私は過去記事で、病気の時は看病してくれるものだ/結婚指輪ははめてくれるものだ
という「普通」の感覚を配偶者に伝えてきた。

私にとって、相手がどうして欲しいかを考えることは「普通」であり、当たり前に出る

行動だったのだ。
ところが配偶者は、自分の想像から一歩も出ないタイプ。
従って、病気は自分で治す/結婚指輪は自分ではめる と真剣に思っている。
そんなタイプの人間に他者のして欲しいことを想像するなどという難行をすることは、
地球がひっくり返ってもできない。

過去に私がしようとしてきた数々の試みは、配偶者の思考を180度変えようとすること
であり、それ自体がかなりのムリだったのではないかと思う。
私が出来るのは、相手に「普通」を求めることを諦めることであり、相手をチェンジ
することだ。

求めれば求めるほど離れてしまうとはよく言ったもので、配偶者に「普通」の感情を
求めるほど、うっとうしいと相手に振り払われた。
分からないものはいくら考えてもわかりはしない。
言ってみれば数学が大嫌いな人に、数学を毎日10時間勉強しろといっている感覚。
数学を勉強するもしないも個人の勝手でしょ。
だから他者のことを想像するもしないも勝手。

ただし自分が人恋しくなったとしても、相手の心が読めないようでは、近づくこと
すらできない。
もちろんぼーっとしていて、相手が寄ってくることはない。
自分がやった分、自分にしっぺ返しがくるのは、世の真理。
単純にこれだけなんだと思う。

自分の中に他者は自分と一緒の考えなのだという浅はかな考えが浮かべば
その瞬間から己が苦しむことになる。
人生にはある意味他者との距離があり、一体化することはないという孤独を受け入れ
て初めて、どんなタイプの人とでもつきあえるラインに立てたことになる。

私の考える「普通」が相手に通じないことは、時として悲しい。
だけども今の自分はその悲しさも含めて受け止める必要性があるように感じる。