頭の硬い人との話に解決の糸口はない

既婚の叔母が30歳を過ぎた姪の自分に「結婚はいいわよ。だれでもいいから早く結婚しちゃいなさい」
というのも
妙齢の女性が「婚活でも好きな人じゃなくちゃ、興味が持てない。でも好きな人には振り向いてもらえない。」
というのも
独身女性で集まって「イイ男はみんな既婚者、けっきょく興味の湧かない男性しか残っていない」
というのも
元を正せば、同じ根っこじゃないのか?と思う。

せっかく結婚し他人と暮らす経験をしたのに、未だ”他者(姪)の価値観”を発見していない叔母。

自分の希望を叶えることだけに目が行って、他者である好きな人からどう思われているのか省みない妙齢の女性。
自分を客観視することなく、環境に責任を押しつける独身女性。

全てが、”他者”と”自己”を区別することなく、他者を思いのままに操ろう、操れないと悩む暴君ぶり。
だから聞いている周りは、勝手なこと言ってらぁ~と思う。

 

昨晩NHKのクローズアップ現代を見た。
アウンサン・スーチーさんのインタビューであった。
司会者が「軍はなくなった方がいいと思いますか?」(うろ覚え)と問うと「軍があるとかないの問題ではなく、軍には軍でしかできないことがあると思います。市民の安全を守る軍としての役割を果たしてくれないか?と対話を進めています」と答えていた。

実はこの答えに先の例を解決するヒントがあると思う。
スーチーさんは、軍がいる・いらない?という問いに対し、もう一段上の考え方、良い軍とは何か?を適用し、答えた。
世界は白か黒ではなく、共存し得るグレーがどこかを考えたのである。
偉大なる指導者は、誰かの立場を徹底的に貶め窮地に追いやることよりも、様々な価値観の人が、価値観を保持したまま生きやすい環境を作るのに長けている。

では、結婚するのがいいか悪いか、好きじゃなくちゃ結婚しないのか、(みんなが賛同する)イイ男でないと結婚しないのかという問いに対し、どう答えることが出来るだろう。
まず結婚としての本質は、どの人と結婚するとしても、”他者”である価値観も立場も違う人と人生を共にすることである。
他者と共存し得るグレーがどこかを探し当てない限り、盛大な結婚式を挙げても、婚姻届を出しても、真の意味で結婚はできないのである。

では、グレーを引き受ける懐が己にあるのか?と振り返ったとき、現在「こうじゃなくちゃ嫌だ。こうあるべきだ。」という硬い考えに固着しているならば、その可能性は限りなく低い。
相手云々の前に、自分の考え方をぐわぁっと広げて、他者の考え方を取り入れる練習をするべきと思う。

一般的に論じられる結婚できない問題の矛先が、めっぽう違う気がするのは私だけではないだろう。