使えない奴 という表現について

「使えない奴」という言葉をよく耳にする。
人を物のようにいう様が嫌いで、考えず避けてきた。
ただ、実際の生活の中で出会う人々には、一緒にいてなんらストレスのたまらない
頭のいい人と、説明しても通じない・行動しないストレスのたまる人がいる。

後者に対する苛立ちを、「使えない」という言葉で卑下することで、心の負担を
減らそうとするのは、回避行動の一種であり、当然といえば当然かもしれない。

さて、この使えない人は、大きく分けて2種類いる。

一つ目は、言われたことの意味が理解できない。もしくは経験が浅すぎて、対処
できない。
このタイプは、知能、知識、経験を補うための方法を対策すればよい。

二つ目は、心理的ブレーキが強すぎて、言われたことが理解できない、もしくは
言われたこと以上のことができない。
このタイプは、他者が救いの手を出すのが困難で、扱いが難しい。
「自分で考えて、工夫して!」と言うと、脳内CPUがフリーズしてしまうのだ。

二つ目の人は、自分の無能っぷりを肌で感じている。
だが、対処方法が分からない。
自分を出せない、自分がどうしたいのか分からない、ぐぅ・・・と心の中で葛藤して
いる。

こういう人は、病気ではないけど心のケアが必要に思います。
仕事が出来なければ、周囲からの風当たりが強くなります。
このタイプは、打たれ弱いですから、放っておくとウツを発症します。
ウツになっても、自分でよりよい治療を探すことが出来ませんから、薬漬けの
日々を送ることになります。
何年もすると、資産も枯渇し、生活保護対象になります。

これって、本人にも国家にもいいことなしです。
たぶん二つ目の人は、そこそこ頭も良いと思います。
心のケアさえ受ければ、その能力を十分に発揮し、社会の役に立て、周りから
信頼される良き存在になれます。

ですから、今葛藤している人は、事態が深刻になる前に、自分の欠点に気付いて
「脱使えない人」してみてくださいね。
自分で扉を開く勇気のある人にだけ、神は微笑むのです。