身体症状がでないと自分を振り返らない

うつ病がここまでメジャーになる前に、私は精神疾患にかかった。
病気の原因が精神疾患と分かるまで、だいぶ時間を要したと思う。
なにせ、突然全身脱力するというのが症状だったから。

 全身脱力なら、てんかんを疑ったり、重度の内臓疾患の可能性を考える。

ところが検査をしても何も出てこない。
で、最終的に精神疾患ですねという結論に至った。

本当はずっと前から身体がSOSを出していた。
「吐き気が止まらない」「胃痛」「背中が痛い」「眠れない」など。
それでも、まあ仕事していたらそんなもんだよねと思って気にも留めなかったので
精神ケアが後回しになった。

心が「いいかげんに気付けよ!」と最後の一発を食らわした結果、私は自由に
動くことが出来なくなった。
動作に制限を加えられたら否が応でも休む。
それが心の狙いだったのだ。

心の訴えはとても小さな信号から始まる。
そして、努力こそ美と教わった我々は、小さな信号を根性の名のもと、無視する。
”そんな些細なことで、休むなんてなっとらん!”と自分に言い聞かせて。
そうやって、ファーストシグナルを見過ごす内に病理は拡大していく。

心を丁寧に扱うことに慣れていない人間は、世にはびこる常識や美徳に踊らされる。
そして、より常識脳が強化され、”べき論”を掲げる硬い人間になる。
心はそんな私に警告を出してくれた。「おい、それじゃ死ぬぞ!」と。

病気を克服した人が一様に思うことは、「生き方を間違えていた」ということ。
間違えて生きていると、本当に大事なものを大切にせず、常識脳がいいと思うことを
優先して、優秀だけどロボットのように冷たい人間になる。
まるで宮崎駿監督の映画のようだ。

心は身体の中で一番物事の真理を知っていると思う。
その心さんがいたからこそ、今私は”人間”としてここにいる。
あのとき、無理にでも身体を止めてくれてよかったと思う。
我々はバカだから、そうでもしないと自分の生き方を振り返ることができない。