負の感情の出所

<周囲など信じられない>
<人は敵>
<どうせ裏切られる>

そんな気持ちに囚われることがある。

その自分を引いて客観視すると、母親と私の過去のやりとりが見える。
母はおそらく不安神経症だった。(病名は自律神経失調症だったが)
頼る人がいない、自分を認められない、嫌なことがあっても逃げられない。
心理的に四面楚歌の状態で、母は子育てをしていた。

そんな中、私が母の思い通りにならなければ、必然的に”この子も私を困らせる”
という考えが浮かび、「なんで出来ないの?!」と批難する。
私が浴びせられてきた言葉は例外なく批難の言葉だった。

そうやって育った私は心の中に、先に挙げたような感情を持つようになった。
今でも外の人間は敵だと思い、心が疲弊する日々である。
人が接近してきたら、責められる、利用されると身構え、契約を結ぶ度、こちらに
不利な条件ではないかと疑う。
日常がストレスの連続だ。

一度で良い、安住の地で息をしてみたい。大丈夫!と守ってくれる存在に出会いたい。
その願いは、虚しく宙を舞う。
夫がいれば、楽になれると思った。
でも所詮自分を安心させることも出来ない私である。従って、出会う人は”安心”とは
無縁の自分勝手な人ばかり。
結局のところ、自分は”安心”をもたらす存在とは、出会えなかった。

自分の生まれを嘆くこともできる。
親に罵詈雑言を言うこともできる。
でも、それで何が変わるのか。
今自分が分かっていることは、私は人を信じることが出来ていないこと、非常に
うがった形で世間を見ていることである。

この感情をさらに遠くから客観視していきたい。