所作が荒い女性とはつきあえない!という男性の主張に納得

テレビ番組の「さんま御殿」を見ていたら、家事大好き男性 VS 家事苦手女性という構図のトークが繰り広げられていた。
その中で、男性の「家事する音が大きかったり、車のドアを『バンッ』って大きく閉める人が苦手」と言う主張に、私は大きく頷いた。

表面的に、音を立てることはうるさいと同時に礼儀知らずであるから、という理由で問題視されがちだが、本質的には、自分の出す音に気づけていない客観性の乏しさが問題なのである。


パートナー選びで、これはちょっと・・・と躊躇される人物像は
「相手に途方もない要求をつきつける人」である。
女性ならば、「イケメン・金持ち、包容力にあふれた男性、同居無し」を要望する人であり、
男性ならば、「若くて、美人、家事もばっちり!共働き、介護もお願い」を要望する人。

相手に途方もない要求をつきつける、即ち自分の身の丈が見えていない人は、全体のバランスを見るという視野に欠ける。つまり「自分都合で全てを判断し」、客観性に乏しい。
客観性が乏しいと生活の質は恐ろしい程に下がる。
相手に過大な要求をすることで煙たがられ、交渉事は上手くいかず、支援の手さえさしのべられない。
なぜって、当人が満足がいくまで延々に不平不満を言い続けるから。
貴方が謙虚でもパートナーのせいで、周りはたまったもんじゃないと、早々に立ち去るだろう。

ゆえにはっきりとパートナー候補の客観性の有り無しを見極められればよいのだが、情報化社会の発展により、「自分の欲望ばかりを言うと、ご縁を逃すので控えましょう」というアドバイスが行き届いたからか、途方もない要求を突きつける人はずいぶんと減った。

でも、人間は隠そうとしても、どこかでアラが出てしまう。
その一つが所作。
所作が荒いということは、自分の所作によって、どのような影響がでるのかが見えていないということ。
この時当人が見えている世界は、まさに先の「自分都合で判断している世界」。

男性タレントさんが、「彼女にいくら口で注意しても、ピンと来ていないようだった。なのでトイレまでついていって、ドアを閉める音を指摘した。」というように、相手に客観性を持たせるのは、簡単ではない。
改めさせることが難しいからこそ、最初から客観性ある人を選ぶのが好ましいとされ、所作という指標が用いられている。

人がなにげなく使っている指標は、それなりに自分の生活の向上・低落と関係がある。客観性の乏しさは、「和を尊ぶ」日本において、最強の毒牙である。
顔の造作以上に重要な要素なのである。
それに気づいている男性は賢いなぁ~と私は思います。