優先順位をつけられるとガッカリすること

友人が私より知り合いのAちゃんを優先していると知って、ガッカリしたことって
ないだろうか?

なんなのだろう・・・私の存在って。(ショボン)

友人がなにをどう優先づけようとも勝手なのに、なぜ我々は落ち込んでしまうのか。

それこそが、人は相手を通して自分の存在価値を理解している証である。

”相手が私を一番優先してくれ、大切にしてくれている”と感じることができれば、
あたかも自分自身の存在価値が上がったかのように錯覚でき、幸せ気分に浸れる。
反対に、”相手が私を一番下にみて、利用している”と感じてしまえば、
己は親しみを持たれることなく利用されるだけの悲しい価値の人間と感じ、孤独気分
に陥ってしまう。

相手の扱い方次第で、自分が自分を理解する像が上がったり下がったり。
実際は、自分はなにも変わっていないのに。

我々はなぜ、友人や家族、恋人といった関係性の深い他者を必要とするかといえば
自分という存在を理解するためである。
いい人に恵まれれば、人は幸せでいられ、悪い人に囲まれれば、人は不幸になる。

しかし、
そんな運を天に任せるみたいな生き方でいいんだろうか?
親も兄弟も選べない。
人生の最初に接する親が悪い人であれば、その人はずっと不幸のままなのか?
それは違う。

自分の中にいい人を作り、そのいい人に自分を認めてもらうことで、自然と幸せ
オーラが出て、いい人を引きつける。
そのために自己内対話を行うのだ。
出だしの運命は仕方がないさ、受け入れよう。
その先、その運命を吉に換えるか凶のままいくのかは、あなた次第。