「なんで~なの?」と言われて育った子

自分のCP(controlling parent)がどこから来たのかを探るために、いろいろと想いを
巡らしていた。
そんなにきっちりかっちりしなくていいのに、なんで鎧を被ってる、私?と考えていた
とき、過去によく耳にした台詞「なんで~なの?」が浮かんだ。

「なんで勉強しないの?」

「なんで言うことを聞かないの?」
「なんでおりこうさんにしないの?」

そして今私がSさんとケンカするときに使う言葉もまた
「なんで私の気持ちが分からないの?」
「なんで想像しないの?」

私の人生で「なんで~なの?」の登場回数は思ったより多い。

小さいとき、なんでと聞かれると、なんでに応えなくちゃいけない気がした。
「なんで~なの?」を言われないように、自分を厳しく律した。
私がそこそこの学歴を持ち、明瞭な文章を書ける実力を付けた背景には、この
「なんで~なの?」に応えねばという強迫概念があったと思う。

でも所詮脅しによる実力なので、伸びは頭打ちになる。
だから飛び抜けて天才にはなれない。
「なんで~なの?」の足枷が外れたとき、とてつもなく自堕落なところまでいく。
そんな私は厳しく理想主義ながらも、自堕落で中途半端という相反する性格を有する。
そして、その矛盾によって、自らを叩く。
いつも眉間にしわを寄せて生きているのは、そのせいだ。

もし私の人生が「よく~できたね」であったり、「今の失敗は未来の成功のため」
という言葉に彩られていたならば、伸びる所は伸び、苦手な所はそこそこといった
もう少し底が高い人生になったことだろう。

以前、こんな声が聞こえる という記事を書いた。
「なんで~なの?」より過激な声だと思うが、思い通りにならない相手を批判し、
罵倒することで、”自分は悪くない”と思う安心感を得ようとするという意味においては
同類の言葉に思う。

どの言葉を浴びるか、人の人生は大きく変わる。
また機会があれば、「なんで~なの?」を掘り下げてみたいと思う。