クリティカルな自分の欠点

褒め言葉の語彙を増やそうと3冊ほど褒めるための書籍を借りてきた。

その中で、人間を信じる力の必要性を痛感した。

例えば

 

コーチングの際にコーチがクライアントと関わる上で大切なのが、まさのこのリスペクトすることなのです。クライアントのことを『可能性にあふれた素晴らしい人』と信じて関わることで、初めてクライアントは率直にオープンマインドでコーチに話ができるのです。

あたりまえだけどなかなかできない ほめ方のルール (アスカビジネス)

 

私は人を観るとき、そういう優しい眼差し・受け入れる広い心で応じているだろうか?
いや、たぶん「どーせコイツも自分利益優先なんだろう(呆れ)」とか「なんでこれくらい分からないんだよ(怒)」とか「攻撃してくるかも(怖)」みたいに敵意むき出しでいる気がする。(もちろん表面上は笑顔だけどね)

常に母親に怒られてきた私の描く人間像とは、「そもそも人間はくだらないヤツ」である。
自分が「くだらない」と母親に言い続けられたことで、全ての人間が「くだらない」と思いこんだのだ。

私は人間に興味がある。なのに人間を信じていない。
おそらくその興味とは、人を陥れるため、ほくそ笑むための材料探しなんだろう。
本当に性悪だ。

でも、興味の持ち方の矛先をちょっと変えることが出来れば、これ以上ないほど人間観察力に優れた人になれる。
今はまだ人間を「くだらない」と思っているけど、いつか「可能性がある」と思えるように心の中にある間違った羅針盤を正しい物に取り替える作業をしていきたい。