愚痴だらけの世の中におけるカウンセリングの役割

口を開けば、家族の愚痴、会社の愚痴の出てくる人がいる。
そこまででなくとも、なんらかの不満を出す人は多い。
総じてそういう言葉は嫌われ、いつのまにかひとりぽっちに。
次なる獲物(聞き手)を求めて、社会に乗り出すもまた同じループを回って、一人に戻る。

こういう人々で構成される社会は、「個」ばかりが際だって繋がりが出来にくいです。

でも誰だって心に不満は溜まります。

その不満を聞いてくれる人がいれば、是非お願いしたい。
嫌な気持ちを消化したいんです。

カウンセリングの最初何回かは、セラピストはほとんど何も言わず愚痴を聞き続けます。
「あれが辛かった」「こんなこと言われる筋合いはない」「私は不幸の生まれ(悲)」
まあ、それはそれは不幸話が展開されます。
今まで周囲に聞き入れられてこなかったそれらの話は、留まることなく(だからカウンセリングは有限時間で終了するようになっている)語られます。
クライアントからすれば、人生で初めて自分の話を聞いてもらう体験をするわけです。

カウンセリングを何回か繰り返す内に、ある程度心に溜まったものが吐き出されます。
そこから思考の歪みを治す治療が始まります。

ですが、一般生活の中でここまで時間を割いて定期的に話を聞いてくれる人はいません。
つまりほとんどの人が嫌な気持ちを消化不良のまま抱えているんです。
汚い話で恐縮ですが、下痢になっても排便を我慢するというのは身体的に辛いです。
トイレがあったら一目散に駆け込むでしょう?
それと同じく消化不良の(気持ちの)カスは、チャンスさえあれば、口からドバドバ出して、スッキリしたいんです。

世の中の大半の人が消化不良のカスを自分で吐き出して、ゴミ箱に詰めて、ゴミの日にだすという方法を知りません。
だから目の前の人を掴まえてカスを無理矢理引き渡そうとする。

引き渡される役目誰だっていやですから、引き受け手はいません。
そこで有料ながら引き受けてくれるカウンセラーが必要になるのです。

世の中に愚痴が溢れ、人間関係に辟易する人が増え、孤独に怯えるのならば、お金の使い方を変えてみるのも手です。
物質の豊かさを手に入れることより、心の豊かさを手に入れることの方が優先される時代が来ています。
私個人は、上手く人付き合いをするために多少の投資はあってよいと思います。
カウンセリングは資格と違って明確にフィードバックされる金銭は不明ですが、人生の豊かさと地位の確保(コミュニケーション力の高い人は社会人として必要とされる)を約束してくれます。
カウンセリングが高いなら、日記を書く、ブログを読む、書籍を読むなど様々な方法があります。
それらを片っ端からでもいい。試してみることです。
そこで学び、抜きんでた人が次世代のリーダとなることでしょう。