心の機微を拒否した選択->理系

ガサツで、心の機微に疎い私は中学の2年で理系に行くことを決めた。
というのも、国語で表される細かい表現に心がついていかなかったからだ。
答えが二つあるとか言われると、頭が混乱する。
だから確定的なものを信じる世界に身を投じることにした。

離散的な思考は、その後20年ほど私を支配していたと思う。

[学歴は高い方がいい/大企業に就職することが幸せ/女は若い内に結婚するが吉/美人に生まれると幸せになれる]
これらの価値観は、この離散的考え故に生まれた固い固い固定概念だと思う。

しかし世間を牽引するのは、離散とは相対する連続の世界。
[学歴がなくてもお客様のために働き喜ばれる人/熟練の技が光る日本の町工場技術/納得した相手と結婚する幸せ/心が美しい事が幸せの秘訣]
毎日毎日を丁寧に愚直に生き抜く人々の生み出すものは、本当に力があるし、影響力もある。

過去に情操教育として、どろんこ遊びが推奨されているのを知り、固定概念に縛られた私は、「泥なんて汚い。それより算数ドリルでもやったら?」と思った。
物差しでは測れない連続の世界に、思いもよらない力があると分からなかったのだ。

そして時を重ねた今、ペットといる幸せ、植物が育つこと愛でる豊かさ、笑顔で人と接する喜び、絵本を通じて感じる温かみが、連続の底力を私に見せてくれる。

頭でっかちで、損得しか考えなかった昔とは大違いだ。

心を取り戻す、人間として生きるということは、本来こういう事なのかも知れない。

理系の知識があるからこそ、今でも人より秀でることがあり、先手を打ったり分析したりと十分に役に立っている。
でも、人生には文系も理系もなく、離散と連続の両方があってこそ、真に豊かになるのだ。

正解のない、領域のない世界があると知るにつれ、人生にはまだまだ広がりがあるのだなぁと感じる。