場をつくる人かつくられる人か

このブログに来る人の検索ワードに「存在感がない」がある。
きっとその人はグループの中で存在感のない人で、人気者を羨ましいと思いつつどうしたらいいのか悩んでいるのだ。

確かに人数が集まれば、話題の中心になる人、みんなが注目する人というのは出てくる。

ということは話題の外側にいる人、だれかを注目する人もいるということになる。
うまい具合にシャッフルして、今日は私が注目株だけど明日になれば別の人が注目されるのだったらいいんだけど、実は注目される人はずっと注目されるし、そうでもない人はずっと添え物扱い。

話題の外の人は話題の中心になりたくてもなれないので、ネットに「存在感がない」と打ち込む。
では、話題の外の人はなにか努力をしているのかと言えば、実はそうでもない。
それなりに考えて話題を提供するのだけど、その話題が他の人には興味のないことだったりする。
だから「あっそ」という返事と共に、また話題の外へ置かれる。

それでは話題の中心にいる人と外にいる人の何が違うかというと、他者を見ている範囲が違う。
中心にいる人は自分のことを話しているようで、聞いている人の関心のあることを話している。聞いている人が感心したり、感動したり、役にたちそうだと感じたり、認められていると感じたりするように話をしている。
言ってみれば、聞いている人をさりげなく接待しているのだ。
聞いている人が盛り上がれる場を作っている。

それに対して話題の外にいる人は、自分のことばかり話をしている。
聞いている人が、つまらなく思ったり、不機嫌になったり、否定されていると感じたりするように話をしている。
言ってみれば、自分を持ち上げて自らを接待し、聞いている人を接待係として使っているのだ。
聞いている人が盛り上がる場を作ってくれることを望んでいる。

自分が喜べる場がつくられることをひたすら待つ人には、いつまでたっても場は訪れない。
なんでもそうだが、クレクレと言っている間は手にはいることはない。
話題の中心になっている人を観察して、積極的にその技を盗んで身につけるところまでいかないと神は微笑まないのだ。

「なんかいいことないかな~」とボヤく暇があったら、目の前にいる人・接点のある人を幸せにする方法を考えた方がいい。
自分が他者を幸せにする割合が高ければ高いほど、自分に返ってくる率は格段に上がり、なんかいいことも訪れるかもしれないからね。