言葉の選択に丁寧になろう

イケダハヤトさんが「安易な謝罪がモンスター消費者を助長させる」という記事を書いておられました。
考えさせられます。

益若さんというタレントさんに対し、匿名性の高いソーシャルツールを使って、BIGBANGのファンが謝罪を要求しています。

益若さんはテレビで素直に自分の感情を出したら、この様です。
かなりの反感が、彼女を謝罪に駆り立てました。

でもイケダハヤトさんが言うように、彼女悪くないです。表現がちょっとあからさま過ぎただけで。
ある人にとって親愛の情を表したものが、ある人にとって嫌がらせに取られるなんてことは日常茶飯事。
だからハラスメントという単語ができたのです。

若い女性ならば、特に身体に触れられることに嫌悪感を抱くことはあります。
益若さんの感じた嫌悪感は、女性として特に珍しいことではない。
でもそれを「NO」と表現することが出来なければ、彼女は自分を表現することさえ許されないお人形さんにならなければいけない。
それは、才能のあるタレントがやることではありません。

益若さんがもしBIGBANGに謝るとすれば、表現のあからさまさだけです。
「嫌です」というのは、完全な拒絶の姿勢であり、BIGBANGのファンからしたら、BIGBANGそのものを否定されたように取ってしまいます。
なので、「困りました」とか「ビックリしてしまいました」くらいに留めておけば、”益若さんは身体を触られることが苦手なんだな”程度の認識で済んだのです。

益若さんの潔癖さが生んだ拒絶ともとれる言葉が誤解を生んだのでしょう。
言葉には強弱があります、固さがあります、丸みがあります、客観性があります。
その言葉の選択を巧みにしながら、自分の感じたことを表現していけたら、素晴らしいことだと思いませんか?

言葉は平気で人を傷つけます。
だからストレートに感情を出していいか?というと、それは許されていないように思います。
でも自分が感じた良い感情・悪い感情は出していかないと自分じゃなくなる。

最近、直情的な意思表明をする人を見かけるようになりました。
でも直情的であればあるほど、周りへの配慮に欠けます。
言葉はみんなの共通の理解するためのツールです。
だからこそ、大切に扱っていかなくてはいけませんね。