友達が亡くなって20年後に知った死因

はじめに断っておこうと思う。べつに衝撃的な話をするわけではない。ただ、亡くなった友達の死因をやっと私が理解出来た、という話だ。知識を得て、整理をして、彼女の亡くなった理由が分かった。と当時に、家庭の不幸は子を殺す、という残酷さを改めて胸に刻んだ、というだけのこと。

あの日の彼女はつぶやいた

彼女と会ったのは私が14歳のころ。隣の中学の子だったが、同じ塾に通っていた。彼女は陸上部で、今で言うところのスクールカーストの上位にいるような活発でおませさんだった。

私が行ったことのない大都会にも平気で足を伸ばし、あるとき見たこともないきれいな液体の入った瓶をプレゼントしてくれた。曰く、「これはお風呂に入れると、泡がいっぱい立って、外国の泡風呂みたいになるんだよ」と。

私はそのエメラルドグリーン色の液体を、わくわくする目で見つめていた。

もらってから一週間経ち、洗面おけにスプーン1杯の緑の液体を入れ、勢いよくシャワーをかけると、今まで見たこともない泡泡があふれ出た。芋娘だった私には、それだけで十分な出来事だった。

その後も塾で会う度、何人かを交えて、私達はおしゃべりを楽しんだ。今でも心に残るキラキラした思い出だ。

ある日、いつものようにおしゃべりをしていると、ふと彼女の顔が陰り、「うちのパパ、そとに愛人がいて、ほとんど家に帰ってこない」とつぶやいた。彼女の家は会社を営んでおり、とても裕福だったので、てっきり素敵一家だと思い込んでいた。

子供だった私は、打ち明けられた出来事がどれだけ重大なことか飲み込めず、「…、そ、そうなんだ」とだけ答えた。子供の世界に、親が不倫するという絵はない。だから、なんと答えていいか分からなかったのだ。

そのような話をしたのは、後にも先にもこれ一回で、またいつもの笑顔の彼女に戻っていった。

海外生活が生み出した孤独

その後、私達は受験を経て、それぞれの高校へ進学した。彼女は私と同じ高校だったが、校舎が別だった。私は大阪のど真ん中、そして彼女は英国。私立高校の英国校に入学したのだ。

そもそも私は自分の高校に英国校があることすら知らなかった。受験するなら、ここ、とあげられるリストに、その選択肢がなかったから。彼女の偏差値なら、そこいらの頭の良い高校にならいくらでもいけたのに、なぜそこを選んだのか、結局は分からず終いだった。

英国に渡ってから彼女と連絡を取り合うことはなかったが、母親同士がつながっていて、彼女は言葉の通じない環境で非常に苦労していて、帰国を希望していることを知った。だが、莫大な費用を掛けて海外に行かせた手前、母親はうん、とは言えなかったようだ。きっと父親に遠慮したのだろう。

彼女はうつ状態になりながらもなんとか3年間暮らし、その後帰国した。だが、やはりなんの連絡も来なかった。私も、高校生活や受験を控え、彼女のことはいつしか頭から薄れていっていた。

彼女は生きることに消極的になった

帰国後、大学に進学することなく、家に引きこもりがちになった彼女。たまに陸上部だった子たちと遊び、あとは従姉妹と過ごしていたようだ。生きる目標を失い、けど絶望するほどではなく、のらーりくらーりと見えない未来に不安を抱きながら、毎日を過ごしていた。

ある日、陸上部だった子がこういった。「あんた、ちょっと太ったんじゃない?」。中学から運動していた彼女は引き締まったボディーをしていたが、昨今はあまり運動していなかったんだろう。けして太ってはいない、標準体型だったが、やや筋肉の落ちた体型をさして、なにげなくそういったのだと思う。

だが、彼女にはその言葉が深く胸に刺さった。「あっ、私は太っている。痩せないと…」

美意識の高い彼女のこと、それから食が細くなり、ほとんど食べなくなった。当然体力は落ち、ほぼ寝たきりの生活に。心配した母親はいろいろと手を焼くも、かたくなに食べることをを拒否する彼女。徐々に言葉数さえも少なくなっていった。

そしてある日の朝、母親がベッドの側にいくと、彼女は冷たくなっていた。23歳だった。

20年後に知った本当の死因

死因は心不全。
なにか特別な病気をしていたわけじゃない。ただ、食べるのを辞めていただけ。

そう知らされた私は、あんなに元気だったのに、陸上部だったのに、心不全で亡くなるものなのか?と思った。ただ、なんとなく納得がいかなくて、彼女なんで死んじゃったんだろう?という疑念が残った。

それが先日、ある病気の症状について目を通していたら、「心不全」の文字が目に飛び込んできた。その病気とは、「拒食症」。20年ずっと疑問だった病気の正体がようやく分かった。そして彼女が死んでしまった理由も。

彼女はずっと自分の居場所を求めていた。暖かい家庭でお父さんとお母さんに愛される世界を夢見ていた。現実は…両親の仲は冷え切っており、自分は見も知らぬ海外へ捨てられ、やっとこさ帰ってきたと思ったら、友達はみんな進学して、居場所がない。唯一頼りにしていた陸上部の友達からも、冷たい言葉をかけられた。

独りぽっちになった彼女は、世界から取り残される現実に、おびえ、泣き、救いを求めたと思う。けれど、彼女サイドから悩んでくれる仲間が見つからず、ますます強まっていく孤独。なんとか周りに認められたくて、もう一度抜群のスタイルを取り戻そうと必死になった。が、それが命取りになった。

彼女は気づいていなかったかもしれないが、話し上手だし、笑顔が素敵だし、足は速いし、センスはいいし、うらやましいところも、すごいなーと思うところもめちゃくちゃいっぱいある。そのままで十分魅力的だった。

彼女に必要だったもの

私の中では、一連の出来事の発端は英国校への留学だと思っている。親は海外で経験を積ませることが、子のため、と信じて送り出したのだろう。しかしそれは彼女の希望ではなかったし、彼女はなにより、自分の居場所を求めていた。

みんなと走ったり、おしゃべりしたり、机を並べてテストを受けたり。そんなありふれた日常こそが、彼女の求めるものだった。
親のエゴ、親の見栄、そんなもののために、彼女は犠牲になった。

幸せってなんだろう?親のために、自分の心を殺して従うことなんだろうか。

いい学校に入って、いいところに就職して、いい人に出会って、結婚して、子供が出来て。そんな絵に書いたような生き方は本当に人を幸せにしてくれるんだろうか?
大切なのは、私がどうしたいか、どう生きたいか、という内からわき上がる「こうしたい!」じゃないだろうか。「こうしたい」があるから、それが叶えられるかもしれない明日を生きてみたい、と思える。

居場所を失ってエネルギーの枯れてしまった彼女には、もう一度「こうしたい!」を思い出させてくれるような場所が必要だった。世界でたった一人、誰でもいい、その人の元へ駆け込めば、落ち込んだ自分がエナジーチャージされるという場所が必要だった。

そういう場所を求めてる、と声を上げて欲しかった。周りに遠慮して、黙ってただ人に優しくするだけではいて欲しくなかった。

彼女がよく世話をしていた従姉妹は、障害者だ。いろいろなことのできない従姉妹にとても優しく接していたそうだ。そんな人柄の彼女なら、声を上げたらきっと誰かが助けてくれた、と思う。

「助けて」と声にするほんの少しの勇気、それが彼女には必要だったんじゃないかと思う。